私の学生時代の人間関係

さて私は保育園児の頃リボンの騎士を観て自分がお姫様だと自認していたのです。貧乏人だったけど。小学生辺りまでは家臣は弟くんだけだったん。というようなことはもう書いたかな。で小学校時代はそれでも普通の男子小学生、昆虫少年的な部分もあり友達というのもいたことはいた。でもいじめられっ子だったので友人の数は非常に少ない方だった。遊んでるのは近所の年下の子が多かったね。

小5になって担任の若い女性教師に気に入られたっていうのもあり博識を認められイジメられなくなった。体力がものをいう男子小学生の野蛮な時期が終わって頭や人間性とかの評価も入るようになったってことかもしれない。担任に気に入られたのは私の博識が授業で役に立つと言うのもあったね。特に社会ですけど。理科だけ担当の年配の男性教師にも気に入られてた。その頃は幼児期のトラウマから回復してミョーに剽軽なキャラになってもいた。その陽気キャラは中1の時に担任体育教師の虐待や男子からの性的イジメや電車での痴漢被害でまた陰キャに逆戻りしたんだけど。

小6の終り頃声変わりがあってかすれて高い声になった。性格も元々おとなしい方であったがさらにそれまで気の強さまで無くなっちゃった感じになった。思春期迎え将来に対する漠然とした不安と自分が何者かわからないアイデンティティの危機があった。カミュやサルトルとか安部公房とかこれは高校生だったかな?中学校は古典だったかな。ソクラテスとかデカルト?読書の中心は再発見した児童文学の時代でした。リンドグレーンとか保育園児の頃2冊だけ読んでたドリトル先生を全巻読んだり宮沢賢治も読んだね。エンデも最初モモにはハマったんだけど果てしない物語が理屈が鼻に付いてあまりいいと思わなくなった。リンドグレーンは今でも好きだし尊敬している人だね。女性としての指針となる人かな。それから中1になってささいな腹立ちから2学年下の弟君を自分の世界から追い出しちゃったん。自分を見つめる孤独な毎日♪っていうのが始まったんだ(fromレーダーマン)。

性欲の増大に伴い性的好奇心も強くなり精神科退院して家に戻ってきた父親の買ってくるエロ本も隠れて読んでた。父は洋物の写真集買ってたね。それ以上に性癖に刺さったのは官能小説雑誌のSMっぽいやつ。元々Mっ子なんですよ。書いたと思うけど小学校低学年の時は自分で自分を拘束したりとか4年生くらいからは囚われのお姫様だという妄想をしてた。自分もバックからおっぱい揉まれてヤラレちゃいたいとかさ。おっぱいなんてほとんどないんだけど。

本題は人間関係なんですが中学校に上がったくらいから善良な男子にはちやほやされるようになったん。ちやほやというと言いすぎかもしれないけどこの子はイジメちゃダメ、守ってあげないとっていう雰囲気が出てきた。前よりからかわれるのは増えたけど男子からけんか相手とはみなされなくなった。女の子っぽい雰囲気が出てきたから女の子の代用?って感じかなのかなあ。当時は田舎では今とは違って中学校になると男女の壁が出来て公然と彼女と付き合ってるなんて子はほぼいなかったから。女子みたいな感じでからかえる私は貴重だったかも。うちの町は田舎だからそんなに荒れてなくて素朴な子が多かったしね。優しい男子が紳士的に接してくれるようになった。

私は割と聖女キャラなんだよ。 (自分で言うな!) 母からも家の天使様とか皇太子とか呼ばれるよ。男子としてあり得ないレベルで誰にでも優しく声を荒げることもなくて無口でなんか神様から受信してる感じ。周りには善意を放出する。小学校の時はそこまで優しくはなくて怒ることもあった。トラウマのフラッシュバック的なものもあり弟にヒステリー起こすことも多かった。弟は私が壊れ物だと知ってるからただただ口答えもせず従うの。ホントはやんちゃなのに何でそこまでしてくれたんだろうって今では思い弟に感謝する。

小学校の時は好きな男子はみんな私の片思いだったけど中学校での好きな男子はなんちゃって彼氏くらいにはなってくれたん。中1のウナギ養殖してた家のK君とか中2のW君とか。K君は腕絡ませても怒らなかった。W君は桑名のおじちゃんって呼んでる母の長姉の配偶者の人に似てた。その人は町工場やっててお金持ちで私が高いものねだるのはそのおじさん。人格者で伯母を姑さんつまり伯父の母親がイジメてた時すっぱり関係切ってしまった。陰で面倒は見てたらしいけど。他にも75歳くらいで運転きっぱり止めて免許返納。もう20年位前で高齢者の自動車運転とか問題にはなってなかったけど。見事な快男子。カメラが趣味で新聞社のコンテストにも何度か入賞してた。弟も父はダメダメで尊敬できる人ではなかったから伯父さんをロールモデルにしてる感じだよ。弟も今ではカメラを趣味にしてる。伯父さんからフィルムカメラももらったんだけど難しかったのか弟は結局デジタル一眼だね。

そういう人間関係を今振り返ると中1はいたけど中2から社会人になるまでしばらく友人作らなくて周りの自分に好意的な男子達をファンクラブとみなす感じだったん。その中でも実際に私を助けてくれた男子達を今では近衛騎士と呼んでる。最初の騎士は弟君だ。弟君は50歳過ぎて弟の家族経由で聞いたが小学校の時私がイジメられたら相手の所に仕返しに行ってたらしいんだよ。すごいね。漢だね。小学校の二学年下なんだよ。

私は結構頭良くてしかも公立中高だし話が合うような頭がいい子は周りには少なかったんだ。特に高校は私が勉強科目のみ得意で内申点がよくないので受験ランク低い高校になるし、さらに通学便利という理由で行ける所より一つ下のレベルに進学したので周りを圧倒しててあまり話が合う人がいないって感じ。更に高校時代は男の娘姫として君臨することになったんで周りはファンクラブと近衛騎士なわけ。一部悪意のある子はいるのですがファンが取り囲んでるからあんま私に手を出せない。

私の人間関係戦略は好意がある人は受け入れる。多少の迷惑やウザさでは排除しない。ただ直接私自身を攻撃された時のみ敵とみなす。ただし反撃はほとんどしないですね。めんどくさいし。好意持ってくれない人とはかかわらない。黙って自分の世界から切り離す。それでも私の魅力に惹かれてファンクラブは入会希望者居ますし。

しかし高校時代に周りから排除した男子が二人だけいる。一人は小学1年生から女の子として唯一好きな幼馴染女子の前で「かながえくんは結婚しないんだって」と言いやがった男子。ちなみに結婚しないと言ってたのは事実です。自分は社会生活の不適合者だと思ってたからね。

もう一人は自分が女子と付き合ってるとわざわざ言ってきた男子、その子をなんで排除したのか自分でもよくわからない。その彼が名前をもったいぶって明かした彼女は私が好きな子ではなかったしね。距離の取り方が近すぎるっていう感じだったのかな。

大学時代は男の娘姫キャラ自体が通用しなかった。性欲解放された男子には無力だった。女性服着てファッションに力入れたらもうちょっと何とかなったかもしれんけど。理学部は工学部なんかと違って結構女子多かったし。それに勉強一筋でしたからね。それでゼミ以外友人はいなかったけど。ゼミの同級生も親友とまではいかない。名古屋大学だったから知的レベルは同等だったと思うが理系でその頃の学生は冷笑的で社会問題も興味ない人が多かった。話合う気がしなかった。私からは蟹江高校の騎士たちよりも子供っぽく見えたかな。頭は良いけど地元を出ない積極性の少ないお坊ちゃんお嬢ちゃんが多かったのかな?私はどちらか言えばやんちゃな男子の方がいいんだ。ファンクラブにはね。恋人に選ぶ人は小学校の時はやんちゃな子だったけど中学校から違ってた。男からの性加害を経験したからかもしれない。女体を持ってないから自意識過剰だけどね。

社会人になって富士通では自分のことを話すようになったし友人レベルの男子もいたよ。F君っていう。彼は浪人か留年してたから一学年上だったようです。紀伊国屋ホールで「アルジャーノンに花束を」っていう演劇を誘われて一緒に観て本も貸してもらった。私がチャーリイ・ゴードンみたいな感じに見えたんかな。中学校の時に母の小学校の担任でもあった前野教頭に母は私は「精神薄弱」(差別用語?今でいう知的障害)かと思ったと言われたらしい。他の投稿で書いた三浦くんっていう漢気年下男子の騎士もいたし。Y君っていう最後のなんちゃって彼氏もいたね。小川君とは違ってガチに思える彼女扱いではなく誰にでも冗談ですよってわかるような彼女扱いしかしてくれなかった。岐阜大スキー部だって言ってたから愛工大の小川君より成績は良かったはずだがチャラ男だったよ。富士通時代は第二期黄金時代だったね。

でも富士通時代その後も周りの好意を持ってくれる人をファンクラブと見なすのは今でも基本変わっていないかも。普通の人なら親友っていうだろう関係の人も精神科の患者の中とか最近のLGBT+や社会活動系にも何人かいるのだけど私の心の中に踏み込んで来てくれたの結局小川君だけかもしれないと60歳になった今になって思う。谷山浩子さんの「谷山浩子童話館」という本にある「帰る人は来ないで下さい」って言葉私の気持ち表してるかな。小川君も結果的に私の前から消えてしまったんだけど。どうなんだろう。大学生の時に彼は死んじゃったんじゃないかとも思ったりする。(おいおい勝手に殺すな!)

彼は私に「生活に疲れた顔してる」とか「その下から目線は止めなさい」とかお前の事わかってるからと言いたげだったよ。ここ数年同窓会名簿の住所に年賀状送ってるけど反応が全くない。今年は年賀状は左足首骨折で出せなかったから暑中見舞いを送ろうかなと思ってる。今の周囲の知り合いは大人になって結婚してるかもしれんし迷惑だから止めろって言うんだけど彼なら絶対そんなことは言わないんだもん。私のこと最後まで心配してくれたんだもん。

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