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2021/09/25「破滅への行軍」

ここ最近最新話に置いてけぼりにされていた『シャーロットには5人の弟子がいる』を最新話まで追った。

元々わたしは乙女ゲームでホモソーシャルとホモソーシャルを解体するファムファタル(ヒロイン)で活動していたオタクなので、この手の漫画は正直気になって見てしまう。だが、こういう漫画をわたしが愛好しているのは乙女ゲームのわたしではなく、BLでわたしを知った人間的には失望の対象になるかもしれない……という感情を覚えることも多々ある。

もちろん、実際に名指しで言われたわけではない。わたしという生き物を俯瞰する生き物がそのようにわたしを見下ろしているだけなのだ。それでも、それが気になってしまうのが人間という因果な生き物の宿命なので、わたしは日々こそこそと生き、手放しでオススメできる作品ではないのですが……と一見不要な注釈を付けることで自分のプライドを守りながら作品についてツイートしている。

さて、ではなぜ今更こんな話を、という部分に触れたい。本日更新分の最新話で、とうとう作中人物のひとりが主人公であるシャーロットに思いの丈を打ち明けた。思いの丈をという言葉でわたしのプライドを守ろうとしたのだが、言ってしまおう。そう、告白である。

そう、告白である。

太字にすることで、くだらないプライドを守ろうとした罰を己に与えた。わたしの作風を知っている人間であれば、なんとなく理解できると思うのだがわたしの書く話に告白はない。なぜなら、相互不理解を書くことを常としているからだ。例え相互理解ができたとしても、その片割れは早晩死に、後には遺された者がいるのみである。そんな世界観で生きているため、正直『シャーロット』内で行われた思いの丈……ではなく告白も、対話のかたちにはならなかった。だからこそ日記に綴ろうと思ったのかもしれない。

好いた女の死に立ち会うこともできず、気がついたら好いた女は数多くの弟子に囲まれ己だけを省みてくれることはなく、蘇ったと思えば己の幸福ではなくやはり弟子の幸福を追求しはじめる自動的に破滅に向かう女に思いを告げるという構図、これまでいろいろ捏ねて来ましたが、やはり好きだということがわかった回だった。

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