見出し画像

2022/03/22「セルフディストピアのすゝめ」

最近の日記でフィットボクシングを再開したということを書いた気がするが、ほぼ同時に再開したものがある。あすけんだ。

わたしはこういう摂取カロリーを採点される系統のアプリが続いた試しがないのだが、ひとえにその時食べたものを記録するという行為の意味について考えてしまうからだ。リアルタイムに食べたものを記録するという行為、食べてしまった瞬間に取り返しがつかないわけで(何故ならカロリーはすでに摂取されているため)適性カロリーをオーバーしていますよ!と忠言された瞬間には取り返しようのない失敗として肉体に刻まれてしまうわけだ。

不可逆の摂取カロリーについてあれこれ評価され文句を言われ反省を促されるという行為がわたしにはとんでもない無駄に見えてしまう。なので、こういったアプリはほぼ続かないのだが(無意味なことを責められても腹が立つため)、今回再開したタイミングで翌日のメニューを前日にすべて記入し逸れ通りにすごすという運用を開始した。そうすればこれを食べると脂質が多くなりすぎるな、これを食べると炭水化物が多すぎるな……ということをすべて事前にわかった状態で最適解と思われるメニューを構築することができる。本来摂取カロリー管理アプリはこうあるべきだと感じる。後は、翌日その通りに行動すればいいだけだ。

ただひとつ問題なのが、わたしの日々の食事は想像以上に摂取カロリーが低いらしく毎日あすけんの女に叱られている。そのため、摂取カロリー調整のために食べたくない豆腐半丁をつけたりしている。目玉焼きを焼いてみたり。そもそもあすけんの命じてくる摂取カロリー、普通に多くないですか?そんなに食ってたら全然ダイエットにならん……と思ってしまうので、プラン?目的?みたいなものをダイエットから変更するべきなのだろうか。こんなことをやって、そもそも意味や効果はあるのだろうか。己を律し管理し、その先で待ち受けるものとは、一体……????

こうやってすべてに意味を見出していくと最終人間っておかしくなるらしいんですが、まあおかしくならない程度に自己管理生活を続けていこうと思う。こういうこと以外はまったく自己管理できない生き物なので、食べるものくらい、己の支配下に置いておきたいな。

フィットボクシングの合間合間に聴いていた『シャーロック・ホームズの回想』をようやく聴き終わったので、今日からは『流浪の月』を聴いている。すでに映画化されていると思っていたのだが、どうやらこれから公開らしい。半分くらいすでに聴いてしまったのだが(入浴中にも続けて聴いていた)感覚値は『私の男』や『八日目の蝉』が近いかもしれない。

ちょうど自分の生活と重なる面もあり面白く聴けたので、もしかすると明日には聴き終わってしまうかもしれない。これくらいの長さの本だと倍速で4時間も必要としないのでサクサク進むな。本はサクサク読むことができればいいというものでもないが……。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?