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2022/05/25「フォロワーの名前で僕を呼んで」

アマプラで配信開始!の時からいつか観ようと思っていたのだが(そもそも劇場公開のタイミングで観ようと思っていた)やはりギリギリじゃないと腰が上がらなかった。ようやく観ました。

『君の名前で僕を呼んで』……。

事前の評判がかなりよかったので面白いんだろうなと思って観たんですが、どうやらわたしにはあまり刺さらなかった。主役ふたりに共感できなかったり、いやそもそも他者に不義理をしている時点で感傷に浸れるわけないだろ!?みたいな憤りに近い感情を覚えてしまった。こんなことを言っているわたしは別に義理人情に厚い人間ではなくむしろ不義理をめちゃくちゃ働く人間なのだが、こう、特にフィクションにはわかりやすい勧善懲悪を求めてしまうのかもしれない。罪には罰だ!思い知れ。

ここまで書いてめちゃくちゃ酷評しているように見えるだろうが、画を切り取って観るのであればティモシー・シャラメの画面映え度やっぱりめちゃくちゃ高いな……の一言に尽きるので、映像作品としては全然退屈せずに観られます。わたしは最後の最後で出てくる教訓にあまり共感はできなかったが……。

ハマりきれなかったで行くと、これもあんまりハマりきれなかった。というか、刺さらなかった。『ブラックボックス』。

あらすじを読んだ段階では何者にもなれない諦観が班長さんっぽいな~と思ったのだが(班長さんで通じる?通じない人が読んでる可能性ってあるのかな)、『ブラックボックス』の主人公は班長さんが決して超えられない一線を超えてしまうことができる人なので想像と違った。税務署員をボコボコにして身重の事実婚女性を置いて服役することになるし……。やっちゃいけないことの重ね掛け具合が凄かったな。

この点班長さんはマフィアさんと出会ったことでこれまで超えられなかった一線を明確に超える物語になりがち(抑圧からの解放の物語が似合うので)だなという自戒のような感慨も覚えつつ、楽しみにしていた一冊を無為に消費してしまうという行為をやった。楽しみにしていた一冊が想像を下回った時の「あ~~~……」ってなる感覚、何度体感してもなんか慣れなくて嫌だな。この世界には面白い小説で満ち溢れていてほしいのに。

思えば『推し、燃ゆ』の読後感と近いかもしれない。わたし、もしかして「現在」を切り取った物語が苦手なのかもしれないな。『推し、燃ゆ』は「推し」文化であったりSNSの発達だったりそういったものが当たり前に根づいた今の物語であり、『ブラックボックス』はコロナ禍を舞台としている。フィクションと現実が入り乱れるある種風刺的な、ある種現代史的な物語が刺さらないんだな~というのは意外な発見だな。小説のことは大好きなのに自分が好きな小説の傾向ってほんとうにわからないから。今日はひとつ自分に詳しくなれたよき日だった。

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