見出し画像

『クラブ・スーサイド』感想/明日はたまたま彼の命日

卒業式も間近、春の風吹き始める七日間。
少年達は自らの死を望む。
人間関係の摩擦から逃げるように
気づけば不登校となっていたあなた。
久々に学校に来てみれば、ふと目についたのは異質な部員募集ポスター。
その名も【クラブ・スーサイド(自殺同好会)】。

特に強い原因はないが、なんとなしに「死にたい」と思っていたあなたは
興味半分本気半分でクラブを覗きに行ってしまう。

しかし、クラブに集まった五人の少年達の
“今から七日間で完全にこの世への未練を絶ち、自ら命を断つ”
という本気さに気圧され、
自殺することに恐怖を感じ、早くも「生きたい」と思ってしまう。

が、今更本気で死を目指す少年達の前で
「やっぱり死にたく無いです」などと言える立場も、
勇気もあるわけがなく・・・・・・

胸に秘密を抱えながら、死にゆく少年達の想いと陰を追う
奇妙で悍ましい七日間が始まったのだった。

(*公式サイトより)

 今回プレイしたゲームは『クラブ・スーサイド』になります。『ビルシャナ』の感想記事では次回は『ピオフィ』続編です、などと言っていましたがこちらのタイトルを忘れておりました。と言うのも、延期に延期を重ねており、実際いつ発売するのか不明だったため……なのですが、延期の末このクオリティであれば全然惜しくなかったなと心の底から感じた次第です。

 企画・製作は本業としてWebやアプリ、ゲームのプロデュースなどを行っているCeltia.incさんでこれまで乙女ゲームの開発実績はない……とのことだったので、どんな作品になるのだろうかと思いながら情報を追っていたのですが、是非次回も乙女ゲームを製作する機会があればお願いしたい! それくらいに熱量のあるタイトルでした。

 『クラスド』はとにかく、オープニングから凄かったですね。散りばめられたエッセンスやキャラクター紹介を見つつ、家族の話をしてくれるんだろうなと推測はできたのですが、家族の話を書く上で、わりと書きがちなんじゃないかと思われる肉体的な虐待は出て来ないんですよね。むしろ、家庭環境はわりと良くて(諸説あります)、それでもこの世界を生きづらいと感じてしまう少年たちの何故、死を望むのかに寄り添っていくことを主軸に描かれていたのではないかと思います。

 「私は、自殺を考えている。」というセンセーショナルなキャッチコピーを背負っているからこそ乙女ゲームという枠を超えて注目を集めていたタイトルになるんですが、『クラスド』というタイトルがどのようなゲームだったのかを端的に示すと下記のツイート内容に集約されるのではないかと思っています。

 『クラスド』をフルコンプリートしてすぐのツイート内容になるんですが、死と生の双方を天秤にかけてどちらに傾いてしまうのかはあくまでも少年たちの手にあって、だからこそ彼らは死んでしまう時はすべてを遺して逝ってしまうし、生きることを選ぶ時でさえ一年経ってもまだ生きているのかはわからない、あくまでも今のうちは生きることを選ぶというスタンスなのが、完全無欠のハッピーエンドとはいかず、どこか物悲しくも感じました。物語を俯瞰するだけのプレイヤーの目線に立ってしまうと。

 前置きが長くなりましたが、下記ではそれぞれのルートに関してネタバレもガッツリ行いながら綴っていこうと思います。それでは、しばしお付き合いください。

財膳絵馬(CV:栂井栄人)

自殺理由:未来に希望が持てないから
死ぬまでにやりたいこと:パパとママに命がけで親孝行がしたい

 誰かによく思ってほしい、誰かに優れていると思われたい。大なり小なり、生きている限りはついつい上を見て自分の凡庸な様を嘆いたりするものですが、それがすべてではないからこそある程度の折り合いをつけて生きていくことが普通の生き方(あえてこう言った表現を選びました)ではないでしょうか。それができない存在として描かれているのが彼です。

 劣等感に駆られた結果、本当はここにいるはずだった誰かに席を明け渡してやらなければいけないと追い詰められ自殺を考えてしまう絵馬くんは誰かに才能がない様を咎められたり詰られたりした経験があるわけではありません。愛妻家であり実業家でもある父親、専業主婦の穏やかな母親との三人暮らしは絵に描いたような幸福であることは、自殺までの七日間がはじまったことをきっかけとして家族の中に深く入り込んでいくこととなるヒロインである林檎さんの視点を通してよくわかります。

 では何故、絵馬くんが自殺を考えてしまったかと言えばそれはひとえに家族を愛しているからこそという理由付けが成されます。優れている存在に囲まれれば囲まれるほどに、どうしてその間から生まれてきた自分は不出来なのかと思い詰める様を見せられるとこういったところが『クラスド』特有の視点というか、特有の寄り添い方だなというか。

 作中で、「自分には刺さらない針が、刺さる人もいる。自分には見えない牙が、見える人もいる。……恐らく、私には見えていない、彼にしか見えない死の影がどこかにあるのだ。」という林檎さんの独白がありますが、全編通して『クラスド』が描いたのは本人にしか感じることのできない針だったんだろうかと思わされました。

 絵馬くんの出自は傍から見ていても充分に幸福で、飢えのひとつも感じたことはないんだろうなと思いつつも、けれど彼にしか感じることのできない針があるからこそ、彼の物語は無に向かいます。それこそが救いなのであれば仕方ないなと思いつつ、終幕02「無様」ではそんな救いすらも与えられなかったんだな……と考えると少年たちに与えられた四つのエンディングの意義がわりと構造的に読み取りやすく、いいバランスだなとも感じますね。

枢姫色(CV:しぐれなお)

自殺理由:生きるのに疲れちゃったから
死ぬまでにやりたいこと:本物のカノジョが作りたい

 『クラスド』プレイ前から気になっていたキャラクターが彼なんですが(乙女ゲームにおける性に奔放な枠が物凄く好きなので)、大正解を提示された気持ちです。まず、彼の凄いところは絶妙なバランス感覚で保たれている二面性で、けれどそれが裏/表という図式ではなく、その瞬間まさに両立しているものとして描かれているんですよね。だからこそ化物じみた存在として描かれているのが物凄く説得感がありました。

 恐らくそういった究極の二面性・二項対立はかなり意識して描かれており、枢姫くんと林檎さんがはじめてふたりで出かけるシーンでも(フードコートですが。余談ですがここのシーン、スチルが切り替わった瞬間物凄く驚きますよね)「彼は純粋でありながら狡猾という矛盾の存在。まさしく狐だ。」と描写されています。プレイヤーに彼は矛盾の生き物であり、その性根は狐と示すことで、彼の行動ひとつひとつに意味を与える構造になっています。

 そもそものところで、彼は林檎さんに本当の恋人になってほしいと望むんですが、お願いして恋人というポジションに就かせた上での本当とは? など、林檎さん自身奇妙に思っている描写もある通りにはじめから矛盾のある関係性を求めているんですよね。理屈が通らないことを、さも理屈が通っているかのような顔をして求める。これこそが、枢姫くんの抱えた決定的な社会との噛み合わなさとも言えますが、バスケ部の部長をしているなど、社会に迎合してはいるんですよね。だからこそ、何故? というレトリックで林檎さんは彼の死の理由を知りたいと願うことになります。

 プレイヤーに序盤から強く意識付けを促すことで初週からすんなりと彼の矛盾を探る目線を持つことができると思うんですが、感想を書くために本編の流れを振り返っていて物凄く驚いたんですが、矛盾の描写があまりにも多いんですよね……。本人の言葉で以て、「誰も信じられねーくせに誰か信じてえや。オレが言うなって話だけどな!わはは!」と語られているように、信じたい/信じられないの矛盾にはじまり、彼の矛盾を感じ取っているのは林檎さんではないということも示されています。

 彼のいない場で彼について語ってみせる第三者の構図は『クラスド』で頻繁に見られる構図なんですが、その中でも枢姫くんルートの右睡くんはかなり印象的な台詞を長回しで言っています。抜き出してみようとしたんですが、あまりにも長回しの台詞だったためどこを特別に切り出そうか、物凄く悩みました。右睡くんの共感力や、もっと言ってしまえばその矛盾を暴き立てるライターさんのキャラクターに対する理解力であったり。『クラスド』は本当に巧い見せ方が多いなと改めて感じました。下記に一部だけ、右睡くんの台詞の一部を抜粋してみました。

「枢姫さん人気者だし、枢姫さんを慕う人もいっぱいいるし、人に酷いことしないし、“優しい人”なんだけど――心が、無いんだ。同級生の僕からしたら、そう見える。みんなも多分気づいてないけど……枢姫さんは例えるなら彼が本心で大切にしている人だって利用できちゃう人なんだ」
「人とさえ思っていない、道具のように扱っている関係の人を本心で友達って、大好きって言っちゃうような人なんだ。いちばんこわいのが、純粋も冷徹もどっちも枢姫さんの本当の感情で、嘘はひとつもついていないんだ」

 相反することが右睡くんの口から語られるんですが、この矛盾をプレイヤーは理解していて、絶妙なバランスで整合性が取れてしまっているところが枢姫くんの危うさの一端であることが読み取れたかと思います。林檎さんは右睡くんの言葉に対して「理解できすぎた」と独白しているんですが、まさに理解できすぎて、そこに反論の余地がなさすぎて巧いの一言でした。

 ちなみに、一番好きな彼のエンディングは終幕07「欺瞞」でした。死にたいのに生きたいという二面性が、最悪のタイミングで発露してしまうエンディングなので。

右睡真咲也(CV:麻生修也)

自殺理由:ヒーローに一生なれないことに気づいたから
死ぬまでにやりたいこと:特に悔いはない

 枢姫くんルートの感想でも書いたんですが、第三者の口から語られるキャラクター像が好きなので今回もそういうニュアンスです。財膳くんの口から語られる右睡くん像は「う、鬱憤を腫らしたいとか、良い扱いをさ、されたい、とか、す、好き勝手して、きもちよくなりたいとか……、そ、そういう、“裏っ返し”が、右睡さんには無いように、感じます」です。裏っ返しがないからこそ、裏っ返しという保険も防具も身につけていない彼は「右睡さんは、きっと裸なんです」と称されています。

 そんな右睡くんの自殺の理由について、「諦めがつけられた」「僕が人間の体でやる事は終わったかな」「僕の心も、体も、魂もぜんぶ、使い切って消えられる事を祈るだけさ」と様々な言葉で語られますが、わたし自身右睡くんのこういった感覚が物凄く既知の感覚があって、なにかなと考えた時浮かんだ言葉が希死念慮の衛宮士郎だったんですよね。これは完全な与太話なんですが、放り投げられた世界の仕組みが違ったことが分岐点になったというだけで、わりと近しい場所を見ていたような気がするんですよね、彼ら。ヒーローになりたいと願って、行き着いた先が違っただけで。

 与太話はここまでにしておいて感想に戻るんですが、枢姫くんルートをプレイしている時死の現場に居合わせた林檎さんは自殺幇助の罪に問われないのかな? などと考えたりしていたんですが、右睡くんルートではそこら辺を右睡くん自身が考慮した上で立ち会わせていたのが印象的でしたね。ライターさんが林檎さんのその後度外視で書いているのではなく、キャラクター毎に彼らが取りそうな行動をそれぞれ書いているんだな~と思い。それがいい悪いではないんですが、右睡くんの場合は立ち会わせたい理由が自身の臓器の鮮度にあるなど、なるほどなと思わせる理由になっていました。

 その後の林檎さんのことを思うと、「せーのっ」がかなりトラウマになりそうだなと思いつつ……。終幕10「試練」で一番効いたのはそこでした。童心に返るような無邪気な台詞だからこそ、日常に影を落としそうですよね。ちなみに「せーのっ」のくだりで思い出したのはPC版『BLACK WOLVES SAGA』の双子と母親のシーンです。分かる人には分かると思いますが、それをしたらどうなるのか知っていた/知らなかったの差はあれど、近しいものを感じました。

喰ヶ島蜜木(CV:木下アルヴィン)

自殺理由:クソジジイになりたくないから
死ぬまでにやりたいこと:殺したいやつをぶちのめしたい

 喰ヶ島くんについて話す上で、様々な切り口があると思うんですが、ここは一番はじめにわたしが見たエンディングの話からさせてください。終幕13「超越」になるんですが、あのエンディングをはじめて見た時、あまりにも呆気なく彼が死を選んで物凄く衝撃を受けたんですよね。

 最後の最後で彼が口にした言葉は「ーー成る程な。そういうもんか」だったわけですが、七日間を共にすごし、彼の人生が歪んでしまった原因となった存在を殺害する場にすら居合わせた林檎さんは、最後の最後、彼がなにを理解してしまったのかわからないんですよね。ただ、彼の目つきを見て私の知らない何かだ。人がしちゃいけない目だ。人じゃなくなった何かの目だ。――全てを知ってしまった目だ。と独白するだけで。

 「超越」においてわたしが受けた驚きは、最後の最後まで林檎さんは彼の死に纏わる部分を共有することはできなかったのだな、という点でした。これまでの彼らが比較的自己開示を良しとしてくれるのに対して、喰ヶ島くんが最期になにを思ったのかはあくまでも彼個人のものでしかないんですよね。その突き放し方があまりにもあっさりとしていて、未練が少しも感じられなくて、個人的には印象に残ったエンディングでした。

 その後に続くエンディングとして、恐らくは彼と同じ道を往くことになってしまうであろうことを予感させる終幕15「連鎖」であったり、自分がただ殺意を抱くことで満足していたのだと気づかれてしまう終幕14「慊焉」などが配置されることで、「超越」が際立つかたちでした。

 喰ヶ島くんルートでターニングポイントになる点は、「彼女」を殺害するか否かだと思うんですが、人を殺すという一線を越えず鬼になることなかった喰ヶ島くんが自身の抱いている強い殺意や怒りに折り合いをつけることで七日目を超えるという構図はかなり説得力のある図式ではないでしょうか。

舞渕明陽(CV:大園由野)

自殺理由:一番大切な人達が幸せになれると思ったから
死ぬまでにやりたいこと:死に対する恐怖を克服したい

 彼のルートについてですが、今後公式からの発表により覆りそうな部分について先に書き残しておきます。明陽さんルートをプレイした結果、結局クラブ・スーサイドを立ち上げたのか彼だったんだろうなと解釈し、明陽さんの前に喰ヶ島くん生存エンドで出てきた「明日がたまたま“そういう日”なだけだ」「そういうもんだ。……そういうもんだろう?」という台詞に救われる部分もあったんですが、クリア後に公式から提示されたムービー的に今後追加要素として新キャラ(=クラブ・スーサイド発起人?)が出てくる可能性も示唆されており、慌てて所感を書き残そうとしております。

 誰が発起人であったとしても、クラブ・スーサイドに集まった彼らの根底にはいつだって死への欲求が張り付いていて、それがかたちを成そうとしたのがたまたま今日、あるいはあの日であっただけなんですよね。

 以上を前置きとして、明陽さんルートの感想に入ります。まず、『クラスド』で最も気に入ったルートは彼のルートになりました。彼は自分の人生に悲観をして死を選択する、という側面を持ちながら、強い死への恐怖を持っているキャラクターとして描かれています。その姿は林檎さんが独白するかたちで「それこそ、即身仏などを思い出してしまうが」と称されています。この独白が核心をついているな、と思ったのですが、自らの意思で餓死を選んだ結果としての即身仏と、死ぬ方法などいくらでもあったにも関わらず父親を改心させるために、記憶に留まり続けるために敢えて長く苦しみが続くであろう自死を選ぶ姿は不思議と重なるのではないでしょうか。

 父親に呪いを残すことを、破壊から再生を願う彼の心情を窺うことができるシーンとして、雨宿りをしているシーンがあると思いますが、そこで彼が「綺麗な貴女を羨んで、愛して、信頼しておきながら嫉妬をしている!ああ、死にたいぐらいに!生きようと考えられる、選択肢のある貴女に!」と訴えるシーンで、「百合」という彼のアイデンティティも相俟って綺麗に纏まっていると感じました。百合というアイテムがネタ枠として消費されていたら嫌だなあとプレイ前感じていたんですが、そんな心配が一気に吹き飛ぶいい演出でした。ここ以外にも、林檎さんがどのような百合作品を手にするかによって丁寧に差分も拾われていたので、『クラスド』の少年たちがステレオタイプとして描かれていないか不安、と感じていた方にも好意的に受け入れられるのではないでしょうか(そこに関しては明陽さんだけでなく、少年たち皆に言えることだと思います)。

おわりに

 プレイ終了後に書きはじめた感想ですが、『クラスド』という作品とどのようなスタンスから向かい合えばいいのか図りかね(共感というスタンスで向かい合うのは自分には不向きだった面もあり)、クリアから間が空いてしまいましたが、なんとか感想をかたちにすることができました。

 作品について、恐らくはまだ精読することができていない点も多々ありますがそこに関しては副読本を待ちながらゆっくりと飲み込むことができればと思います。

それでは。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?