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2021/09/29「トラックは非論理的」

先日聴読をしているということを日記に綴ったが、先日2冊目となる聴破本が生まれた。『仮面病棟』だ。

『崩れる脳を抱きしめて』同様に知念実希人作品なのだが、オーディオブック化は作者の意思が加味されてのものなのか出版社の意思が加味されてのものなのかどちらなのだろうか。つい先日読破した『廃遊園地の殺人』も現在オーディオブック版が予約中になっているので、実業之日本社の方針なのだろうか。考えてもよくわからない。

考えてもよくわからないという表現をわたしは使いがちだが、ツイッターでこの手のツイートをする際必ず「別に答えがほしいわけではない」という旨を書き添えている。これは文面通りで、「別に答えがほしいわけではない」からだ。

ただ益体もない管を巻く。わたしは大抵それだけで満足してしまう。なので仔細を解説する者が現れてもフーンとしか思えない。それなのに、わざわざありがとうございますと言わなければいけないという空気感に耐えられないし、最悪リプライを無視することもある(実際無視したことがある)ので、事前に断っておく次第である。

話を『仮面病棟』に戻すが、わたしは小説や映画などのフィクション作品におけるどうしよもない状態で主人公がひたすらに貶められる描写が苦手だ。むしろ好きそうなのに……と思われるかもしれないが、さらに厳密に説明すると論理的ではない人間が論理的ではない言い分で第三者を貶める図式、これが堪らなく苦手なのだ。屈辱という感情が一番近いのかもしれない。

そうなった時、わたしはひたすらに破壊を望む。この場にトラックがアクセル全開で突っ込んできて、すべてをめちゃくちゃにしてほしい。そんな衝動が、わたしの中にある。

『仮面病棟』は大体この屈辱の上にある小説だった。とにかく、立てこもり犯であるピエロが論理的ではない。行き当たりばったりの行動を繰り返す時に、ここ一番でフィジカルの攻撃が通らない。それがとても不快だったが、この不快感は小説そのものの価値を毀損するものではなくむしろ引き上げるものなのだろう。立てこもり犯に論理があるのも、またおかしな話なのだろう。

そうなると、この場にトラックが突っ込んできてほしいという感情も論理的なものであってはいけない。論理的ではないものには論理的ではないものをぶつける。そういうところに、ステージを移しているが故の破壊衝動ではないだろうか。

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