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京大医学部を目指す理由

生まれて長いこと京医志望を掲げてきた。もう完全な最初は思い出せない。京大医学部は天才が行くところとテレビで囃すのを聞いた時か。それとも小学校の頃の塾で、抜きん出た成績を自らの才能によるものだと錯覚した時だったか。

かつての神童の中には、幼少期に形成された自己全能感を消せないまま大人になる者もいる。すごく怖いことだと思う。僕は、自らの才能への過信と陶酔をそこそこ上手く捨てれていると思っているが、どうだろう。そもそもが流動的なもので、この判断に意味はないのかもしれないし、何ら客観性が保証されているわけでもない。

中高の頃は、自らの怠惰さとの闘いだった。周囲からの期待に応えようとペンを持つが、自分は、とにかく努力が苦手だった。結局高校でADHDだと診断されるのだが、名前がついたからといって京大医学部に合格させてもらえるわけでもなかった。

真剣に勉強に取り組めず、かといって努力せず京大医学部にいけるような才能はないという事実。ありきたりすぎる状況で自らの素晴らしき平凡さを自覚した。

今、僕は駿台予備学校に通っている。もちろん志望校は変わっていない。京医を目指すということが知らず知らずのうちに僕のアイデンティティになっていた。でも実際は、そんな大層なことじゃないのかもしれない。10年近く心の底から欲していたという、惰性とか。はっきり言葉にできないような、かっこ良さ、かっこ悪さだとか。

ここで何を言おうと、この先人生で出会う人たちは、僕を肩書きでしか見ない。京大医学部に受かれば軽々しく「天才」だと持ち上げ、落ちれば軽々しく「失敗者」とみなす。実際僕が何を考え、何に悩み、何に絶望したか知ろうともせずに。

書ききれないくらい最低な僕だけど、もしも叶うなら、もう一度だけ手を伸ばしたい。


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