「いい人でいる事に縋り付く事」をやめようと思う


先日このようなツイートをする中で、世間一般がいう「いい人」について考えてみることがあった。

自分自身も過去、散々「いい人」と言われ続けてきたし、今も若干言われることも多い。


というのも、自分はよくこのようなビフォーアフターをアップする。
そこでよく飛び込んでくる返信がある。


「ビフォーアフターの垢抜け前の方がいい人そうな感じがして好き」

という趣旨の返信だ。

なぜ、垢抜ける前の人の方がいい人そうだという好印象を抱く人がいるのだろう?

そして、その人が抱く「いい人像」は本当に正しいものなのか?

超弱者かつ超いい人出身の、全てを経験してきた自分がここを徹底的に掘り下げてみようと思う。


いい人とは いい人を演じることでしか生きれなかった人

たとえば、男性のマッチングアプリのプロフィールでこのようなことを書く人がいる。

「いい人だと良く周りの人から言われます」
「落ち着いている人だと良く言われます」
「真面目そうだと言われます」
「誠実そうだと言われます」

いい人
落ち着いている
真面目
誠実

このようなことを自分のアピールポイントだとして、プロフィールに書き起こしてしまう人達。

いい人、落ち着いている、真面目、誠実、全部自分は似たような言葉だと思って同一の言葉だと捉えている。

「いい人」は、本当に本質的に「いい人」なのだろうか?

「いい人」出身の自分から言わせてもらうと自分は

「いい人」でいることでしか、生きてこれなかった存在だったんだ。

頼まれたことを断らない。(断れない の方が正しいか)
金を貸してくれ、と言われたら貸す。
言われた命令に従順に応じる
面倒ごとを頼まれたら、引き受ける

色々あると思う。

自分には価値がなかったから、頼まれたことを断らずに(断れずに)受け入れて素直に命令に従う

ことでしか、存在意義を発揮できずに、それでしか生きれなかったのが、過去の自分だ。


いい人

でいることでしか

本当ははしゃぎたいのに、落ち着いている

ことでしか

真面目

でいることでしか

本当は心の底にねむる欲望があるのに、抑圧して生きる

ことでしか

生きれなかった自分だ。


自分は「言われたことを断れない」いい人を演じることでしか、価値を発揮できなかった、生きることが出来なかった人間だ。

本当はそんな生き方、したくなかったのにね。


「いい人」という偽りの長所にすがることしかできない人

自分は、何も価値がなかったから。
人に提供できるものがなかったから。

いい人でいるという、誠実でいるという、真面目でいるという、そういう偽りの長所にしか、すがることができなかった人間だったんだ。

世の中に存在する「いい人そう」な人たちには、そういう人が多いのではなかろうか?

本当は、嫌なことを断れる自立した人間でいたいのに

時には不真面目で生きたいのに

時には他人の目を気にせず、自分の欲に素直に生きたいのに

「いい人」という偽りの長所にすがることでしか、自分の価値がないと、そう思っている人が多いのではなかろうか?


婚活界隈の人がいう、ビフォーの垢抜けてない、自分に素直に生きてなさそうな、抑圧して生きていそうな人たちは本当に、「いい人」なのだろうか?


よく言われる「いい人」の本質は「受動」

よく言われる「いい人そうないい人」は、ただ受動的に「いい人」になっているだけだ。

言われたことを断らない。
頼まれたことだけやる。

自分から能動的に何かを起こすでなく、リスクをとって動くでなく、言われたことを、頼まれたことをただこなすだけの、受動的ないい人だ。

自分から動かないので「いい人を演じることでしか生きることができないいい人」だと自分は思っている。
過去の自分が、ずっとそうやって生きてきたから。


本当のいい人の本質は「能動」

言われたことしかやらない。

頼まれたことしかやらない。

自分から人のために動かない。

そんな人が、本質的に「いい人」なのか?

これは違うと思う。

自分の思う本当にいい人は「能動性のあるいい人」だ。

人のためにリスクを取れる。

嫌われるかもしれないけど、相手のために伝えるべきことを伝える。

人のために、指摘ができる。

嫌われるというリスクを負ってでも、人に何かを投げかけることができる人だ。

過去の自分にはこれができなかった。

ただ受動でしか「いい人」でいることができなかった。



だから自分は、世間一般がいう「いい人」でいることに、縋り付くことをやめようと思う。

嫌われる勇気をもってでも、リスクをとってでも、誰かに「嫌な人」だと思われるリスクを負ってでも。

「表面的ないい人」でいる自分は好きでないと思うから。

何かを抑圧して生き続けて、表面的にだけヘラヘラしてる自分なんて、好きになれないから。

自分は、世間一般がいう「いい人」は、本当の意味で「いい人」でないと思う。

過去の自分がそうであったからだ。

表面的には「いい人」だったけど、蓋を開ければ開けられるほど、「いい人」とは真逆の受動性や人のために本当に動けない自分がどんどんと出てきていた。


「いい人を演じることでしか生きれない人生」しんどくないですか?


本当の意味でのいい人に、「能動性のある、人のためにリスクをとれるいい人」になるために、これからも自分は日々を積み上げていこうと思う。



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