「めんどくさい」を乗り越えろ。やれ。
いつまで経っても何も変わらない人間
いつまで経っても何も変わらない人間がこの世には多く存在する。
何かを学んだ時に
「勉強になりました」
「参考になりました」
そう、気づきで満足する人間である。
自分もセミナーをやったり勉強会をやったり、アドバイスをしたりということを日々おこなっている。
ここで全員が全員そうではないにしても「気付きで満足する」人間があまりにも多い。
この気付きを得ることで、ドーパミンが出る。
このドーパミンで報酬をもらっている。
たとえばその気付きを行動におこしていく時に、言い訳として色んな言い訳が出てくるであろう。
「めんどくさい」
「疲れているし」
「他にやることがある」
「後でもできる」
「自分なんかが、、」
「(お金・時間・リソース)がない」
「忙しい」
「分からない」
「もっといいやり方があるんじゃないか」
こういう自己正当化している時は、自分は自分を疑っていない。
自分が正義であると思っている。
世の中には色んな情報商材があるし、色んなセミナーがあるし、色んなコンテンツがある。そこから沢山のノウハウを得ることができる。
ただそのノウハウコレクタトするだけのノウハウコレクターは、ただのドーパミン中毒である。
「気付き」という報酬をもらう事で、そこで気持ちよくなり、その先に行かない。
現実が何も変わらない。
そして本人は「ノウハウを得ている」ので、勉強をしているという正義を自分に対して疑わない。
そういう自己正当化の外側には、コンフォートゾーンの外側がある。
ノウハウを得て、それを行動に起こす時に必ず出てくる文句がある。
「めんどくさい」
だ。
ただ別に、この「めんどくさい」を抱くあなたは、別に何も悪くない。
・めんどくさい
・疲れている
・しんどい
これらは別に悪くない。当たり前の感情である。
ただ壊れたラジオのように、一生頭の中で流れ続けているだけのものである。
「めんどくさい」という認知は、「自動思考」であり、勝手に頭に流れるものなのである。
自動思考=自分ではない
なのだ。
コントロールできると思っている。それはそれこそがおこがましい。
他人が勝手に「めんどくさいラジオ」を流し続けてるだけで、それは自分ではない。
「めんどくさい」の自動思考に囚われると現実が変わらない。
生きていると、色んなめんどくさいが存在するであろう。
・朝早く起きるのが「めんどくさい」
・朝身支度を整えてキレイな見た目を作るのが「めんどくさい」
・仕事を本気でやるのが「めんどくさい、しんどい」
・夜仕事終わりに筋トレをするのも「めんどくさい、しんどい」
・空き時間を勉強に費やすのも「めんどくさい、しんどい今じゃない」
・夜風呂に入ったり髪や肌をキレイに整えるのも「めんどくさい」
このめんどくさいに従えば従うだけ、自動思考のまま生きているとどうなるであろう?
ただのポンコツのニートではないか?
こんな人間が果たして世の中から、誰かから求められるのであろうか。
そう。自動思考を越えた数だけ、「めんどくさい」を乗り越えた数だけ、人生が変化する。
自分が成長していく為の図式は
なのだ。
めんどくさい、は他人が勝手にラジオで流してるだけのしょうもない言葉なので、聞き流しておけば良い。
それを思っているのはあなたではないし、だから「めんどくさい」が頭をよぎるあなたは自分を別に否定しなくて良い。
それは当たり前なのだから。
めんどくさい。そして、やろう。
しんどい。そして、やろう。
明日でもいいや。そして、やろう。
これを築き上げた数だけ、人生が変化していく。
めんどくさいに従った数だけ、あなたはしょうもない価値のない人間になっていく。
「めんどくさい」を乗り越えるエネルギー
「めんどくさい」「しんどい」を乗り越えるためには、いずれかの強いエネルギーが必要である。それが
①大きな理想
②強いコンプレックス(行動に移るコンプレックスは大事)
このいずれかである。
めんどくさい、をどうしても乗り越えられない時、それはあなたに①も②も、どちらもないのかもしれない。
理想を追わず、コンプレックスを抱かない、それはある意味幸せな状態であるのだといえる。
でもその①も②もない状態が永遠に続く時、人は「退屈」を生み出す。
退屈になり、暇な人間にエネルギーは宿らない。
どんなエネルギーを用いてその「めんどくさい」を乗り越えるか。
これも定義をおこなおう。
改めて。
これから生きていく人生には数えきれないほど多くの「めんどくさい」「しんどい」の壁が現れ続ける。
「めんどくさい」という壁を乗り越えろ。やれ。
それでのみ人生は変化する。
「めんどくさい」に従うあなたは、現状の満ち足りてない人生からは何も変わる事はないであろう。
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