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感情に飲まれないってどういうこと? -3-

感情に飲まれないシリーズ最終回になります^^

この上のふたつの続きです^^

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感情に飲まれないというのは、努力や根性でなんとかコントロールするという話ではなく、

日々のどんな自分も承認し、抱きしめて寄り添ってあげるということ。

その強さを育んでいくということ。


愛しづらい自分もゆるし、愛していくということなのです。

それは、今まではばっさりと切り捨ててきた自分を再発見し、もう一度統合していくという作業にもなります。

今までダメ出ししてきた部分と和解して受け入れていく作業にもなります。

弱い自分。
ダメな自分。
至らない自分。
その奥にあった愛や光を見つめていく。

自分を悪者にして、責めてきたのをやめて
『頑張っていたよね』
『それがベストだったんだよね』
『悪くないよ』
とゆるしていく作業。

結果や言動ではなく、その奥にある私たちの本質である、想いや愛を見ていく。

そして、これからの自分自身を信頼していく。


どんな自分をも愛するということは、

どんな自分も”悪者ではない”と認めていく作業になります。

どんな自分も許していく作業なのです。


これは、自分だけに優しくするという話ではありません。

同時にどんな他人も”悪者でない”と実感していく作業になります。

自分を承認し、抱きしめて、寄り添っていくと同時に、他人にも行っていくことになるのです。


自分に優しくできる人は、他人にも優しくできるのです。

自分の中で愛する対象を広げていくということは、外の世界でも愛する対象を広げていくということ。

悪者がいなくなる。悪者を作れなくなる。


自分の弱さを否定する人は、他人の弱さを否定してしまいます。
自分に思いやりのある人は、他人にも思いやりがある。
自分に優しい人は、他人にも優しいのです。


自分に優しくて、他人に厳しい人は、それは逃げているだけ。
向き合ってないのです。

それも、自分自身に向き合ってないのです。自分自身から逃げている。
これが、まず一つに感情から逃げているということ。

そこには”人と自分は違うんだ”という前提がある。
自分にはできないんだと
あの人だからできるんだと
自分の愛や才能に制限をかけて、判断、ジャッジ、批判、分離している状態。
自分は素晴らしいという”真実”から目を背け
愛を送ることを、与えることをやめてしまっている。

それは、エゴの声に負けている状態。
そして、現実から目を背けている状態。


それとは全く違います。


ここでいう、どんな自分も愛するというのは、”真実”を見ていく作業。
自らが愛の起点になるということ。

自分の愛や才能を信頼し、つながっていく、愛していく、与えていく。
向き合い、理解し、受け入れ、許す。
皆としあわせになるための努力をするということなのです。


それは時にとても幸せであり、時に苦しくもあります。

ダメだった自分を赦すということは、それまで信じてきたもの、よりどころだったものを手放すということ。
そして新しい価値観を自分に入れて生まれ変わるということなのです。

抵抗も出ますし、変化への恐怖も感じます。
それまでの自分としては悪としてきたことを善とすることでもあります。
そして、今まで悪者にしてきた人が悪者ではなく良い人だったというのは、”誰にせいにもできない”ということ。
かなりの成熟さを求められます。

ですがそれは産みの苦しみ。愛し、つながるためのプラスのチャレンジ。
これができた分だけ私たちは自由になり、誰かを愛することがたやすくなります。
確実に幸せに近づきます

誰かを悪者にしていた時は、どこかしら自分に自信がなく、モヤモヤと気持ちが悪かったのが、

気分が良く、清々しく、自分に自信が持てるようになります。

そして、頑張れば頑張るほど、自分のことが誇らしくなっていきます。

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以上です^^

思いの外長くなりましたが、全てとても大切なことです。

そして、このチャレンジを始めると、人生が本当にガラッと変わります。

確実に、しあわせになります。


どなたかのお役に立てると幸いです♪

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