2019/12/1のぼんやり余生91日目。

「収入見込みゼロから始める曖昧なぼんやり余生スタートですよね」

とスタートしたぼんやり余生。

快適にぼんやり余生を過ごす為に始めた備忘録。

それは一所懸命余生を過ごすひとに寄り添うことに一所懸命付いていくための備忘録のつもりであったのですが、実際には手帳の方が断然忘れることも少なく、携帯のメモの方が簡単だし、人に見られてはいけないことがメインの備忘録だったので随分と間をあけてしまいました。

「お前どんなことがあっても誰にも言うなよ」

ちょっと長くなりますが、これから僕が星になるまで、いや、釜茹でになるまで続く長い道のり。道中、クスリやギャンブル、風俗などにハマって「オレは本当にどうしようもない奴だ」と困らないように記しておこうと思いまして。

ROOK RECORDS 1987年創業。今年で32年になると思います。僕の記憶が間違ってなければ。1987年といえば、18歳、東芝入社。単身上京、バタバタの1ヶ月を経てのココム違反、ぐったりして、GWの長期休暇の際に帰郷。そこで初めて、地元にこんな輸入盤屋があったのか!となりまして、以後、帰郷が待ち遠しくなるほどの存在になりました。あ、ROOK RECORDSのことです。

1999年にこの地球には緞帳が下りて閉演となることを信じていた晴れ男、まさかそのままサラリーマン人生を邁進することもなく、給料が入れば家賃を振り込み残ったお金で1ヶ月分の酒を買い、週末には札束握りしめ西新宿、六本木(まだWAVEがありましたね)、蒲田と関東近郊のレコード屋をめぐり気になる輸入盤と中古レコードを買い漁り、ぴあとシティロードを読みライヴに足を運びと典型的なおのぼりさんになっていました。どーせ32歳で死ぬんだし、別にいいや。

レコードを買い過ぎ限界を越えたところで、所有欲よりももっと知らない音楽を聴きたいとシフトしていったように思います。

1992年ついにドロップアウトしていわゆるフーテンのようになるわけですが、ROOK RECORDS通いは全くおさまりませんでした。

ここでROOK RECORDSのある地元に帰りバイト掛け持ちをしながら金を貯めてワーキングホリデー、VANCOUVERへと向かったりします。1994年のことだったと思います。その2年間もレコードは増えるばかりでした、ROOK RECORDSで買ってましたね。他でも買ってましたけど、美談にしたいので買ってないことにします。

VANCOUVERにいた頃もレコードを買って酒を飲むだけの生活だったのでどうしようもなかったと思います。

帰国後、名古屋の円盤屋に就職するわけですが、ハクをつけたかったのでVANCOUVERから履歴書を送りました。平尾昌晃・畑中葉子「カナダからの手紙」の影響なのは間違いありません。

そこから中古店の店長時代もROOK RECORDS通いはおさまりませんでした。1997年ごろだったと思います。1994年12月から始めた楽器とバンド、25歳からなので遅咲きすぎるほど遅咲きなんですけど、名古屋で企画始めたりして、一丁前にフライヤー作ったりして、ROOK RECORDSに貼ってもらいに行ったりして。10年してやっと親方と話すことが出来、円盤屋で働いてることも打ち明けられました。同業者ということを打ち明けることでROOK RECORDSに来れなくなるんではと思っていたから遅くなりました、と。だって、話してみるまで刃物みたいな顔してるやないですか、親方。

それから、名古屋での集合セールに誘ったりして、同業者としても仲良くしてもらったような気がします。

僕が円盤屋を辞めてROOK RECORDSで働き始めたのが1999年。経緯はあんまり覚えてないですが、多分若かったこともあり自分で地元で自分の店をやりたいと思ってたこともあり、タイミングよく声が掛かったんじゃないかなと思います。

2001年自分で店を始めて、2軒目も含めて13年近く。暗礁に乗り上げ座礁し放題で傷まるけの状態、で、店やりながらROOK RECORDSを手伝うというめちゃくちゃな状態で2013年まで。

震災を機に、完全にお金のこととか将来のこととか、いよいよ吹っ切れて全てを捨てて神戸に移住したわけですね、2013年に。職も変えて。

それでも、ROOK RECORDS通いは続いてました。

斜陽であるこの産業に従事する親方のことが心配というと完全なる美談なので、そこは嘘です。斜陽ゆえに人件費の削減、ワンオペの限界、加えて加齢による体力の限界を知っていたので、手伝える時はずーっと手伝ってました。

2019年GW、心配のタネが発芽するとは思ってもいなかったので。

「お前どんなことがあっても誰にも言うなよ」を破ってしまいました

この1ヶ月の気を遣いながらの病院通い、来るなと言われたりもっと来いと言われたり。「オレは嫁かよ!」と思いながらも、この6年間ほぼすれ違いだった穴を全力で埋めようとしていたのは間違いありません。最後の3日間、肩が痛くなるほどのレコードを持って病室に出向き、一枚一枚筆談で値付けしたの、僕も楽しかったですが、親方嬉しそうにしてたなぁ「その盤幻の名盤、ブートだからクズみたいな値段だけど。当時は東京のJAZZ喫茶でしか聴けなかった。」とか、どーでもいい情報ばっかり。めんどくせーな。

「店綺麗にしたから、見に来いよ」言ったのに。

約32年のお付き合いでしたが、本当に面倒くさがりでめんどくさい人だった。もっと甘えてよかったのに。

本当にありがとうございました。どうしていったりましょうね、この文化不毛の地とROOK RECORDS。

安田 (珍庫唱片//NGOO, ROOK RECORDS CASUALS, antoniothree)

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