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少しづつ宿になっていく

このnoteは「ゲストハウス思い出ノート」に投稿するために、久しぶりに書いたものです。コロナで超暇になったオープン当時、ゲストハウスが出来るまでのことを書くためにこのnoteを始めたのですが、専門的な部分に差し掛かってすっかり筆が止まっていまして、気が付けば1年以上が経ちました。コロナ禍のFAROでのことを書いてみようと思います。

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私がオーナーを務めるGuestHouse&Lounge FAROは、福島県いわき市、いわき駅から徒歩5分の商店街の中にあるゲストハウスです。コロナがいよいよ日本にもやってきて、世界中が不安の渦の中にあった2020年4月にオープンしました。両親が長年商売をして来た場所をリノベーションして作ったゲストハウスで、私は同じビルの3階にあるイタリアンレストランのシェフをやっています(この3階も子供の頃自分が住んでいた場所をリノベーションして2004年に作ったお店です)

「いわき駅前にゲストハウスを作りたい」と言うFacebookページを立ち上げたのは確か2017年、年始だったと思います。(最初のイラストはその時、作りたいゲストハウスのイメージを友人のアーティストさんに描いていただいたものです)イタリア料理のシェフをやっている私が急にそんな宣言したので、少し周囲を驚かせてしまったと思います。当時取材して下さった記事があります。

この時はまだ何の勝算もなくて「とりあえず言ってみたら何かが動くかも知れない」と見切り発車した感じでした。「旅が好きだから」「自分がゲストハウスを回っていたから」という理由ではなく(あ、もちろん旅は好きですが)、ゲストハウスが出来ることで街が変わり、面白くなりそうと言う、ゲストハウスを作る動機としては少数派かも知れません。でも飲食も宿泊も共通点は多々あると思っていて、人々が出逢う場所を作ることは私としてはとても自然なことでした。そしてたくさんの人に支えられてFAROを作ることが出来ました。

商店街に若い子たちが働きたくなる場所、通いたくなる場所を作りたくて、FAROがオープンしたらゲストハウスの運営はそんな若いスタッフに任せて自分は自分のお店(3階のイタリアン)をやりながら裏方で支えていこうと、当初考えていました。

プレオープンが迫ってきて、スタッフさんの面接の約束も10人を超えたころ、4月には宿泊施設はオープン出来ないことが分かってきました。収入の目途が一切立たない状況でスタッフさんを雇うことは到底出来ないと、面接の約束を一度全て断り、3階のイタリアンレストランはお休みし、自分とマスター、長年一緒にやってくれている店長と3人で、とりあえず、ゲストハウスをスタートしてみることにしました。

そう、当初の予定と違って、私自身がっつりメインでゲストハウスの運営をしていくことになったのです。

初めてゲストが宿泊した時の、くすぐったい様な感じは今でもよく思い出します。自分が子供の頃住んでいた場所で、両親が長年商売をやっていた場所に、見知らぬ旅人が泊っていく。FAROは駅前にある街なかのゲストハウスです。寝静まると車の走る音や信号機の音、遠くに電車の音も聞こえたりします。それは眠りを遮る様な大きいものではないのですが、私自身の子供の頃の記憶であり、旅人に街の空気を伝えるものです。その日は帰り道、何度もFAROを振り返り、灯のついた客室を眺めニヤニヤしたものです。(そう言えば私自身初めてゲストハウスに泊まった時、部屋はドミトリーで、子供の頃お店の倉庫の押し入れに秘密基地を作って、そこで眠った記憶がよみがえりました。FAROのドミトリーが出来た時も「大人の秘密基地だな」とニンマリしてしまいました。)

少し話はとびますが、イタリアのフィレンツェに行くときに必ずお世話になる定宿があります。ゲストハウスではないのですが、家族経営の小さなホテルで、いつも家族のように迎えてくれます。FAROにいる私は、そのホテルのお母さんを思い出すことも多く「ご飯食べて来ます」と出かけるゲストさんに自然に「いってらっしゃーい」と声をかけていました。ゲストハウスでは珍しくないかも知れませんが、イタリアンレストランのシェフとしてはなかなかないことです。いつの間にかFAROではみんな、チェックアウトの時も、ラウンジに食事に来た地元のお客さんが帰る時も「いってらっしゃい」と見送るようになりました。地元の常連さんが「いってらっしゃい、って言われると午後からも仕事がんばろって思えるんだよね」なんて言ってくれることもあったり。何より自分自身が、自分らしく自分のままでゲストのみなさんと接することが出来ている、そんな実感をすることが多くなりました。

各駅停車で東京から仙台に行く途中の下車で急遽泊まったスウェーデン人の女の子と長い時間ラウンジで日本の漫画の話で盛り上がったり、東日本大震災10年の時に突発的に来た学生さんたちと話し込んだり、アテンドしたり。リモート授業しながら滞在してくれた大学生さんたちが作った鍋を一緒にご馳走になったり。コロナの状況が少し良くなったタイミングでは、そんな出会いも出来た1年でした。

あ、移動式銭湯 -MOBILE SENTO天真さんが来た時も「街の人に”FAROに行けば何とかしてくれるよ”と言われた」と急に訪ねて来て、街なかで湯を沸かせる場所探して、ホース引っ張って湯船に水入れて、夜にはゲストさんと一緒に足湯に浸かってたっけ。旅人と街を繋いで面白いことやるって言うのは、コロナでも(いやコロナだからこそ)出来たことはたくさんあった気がします。

少しづつとは言え、地元の若い子たちや、インターンで来た大学生ゲストさんたちとも繋がることが出来て「行ってきます」と言って帰るゲストさんが増えるたび、少しづつ宿になっていくのを実感しています。そう、急がずに、少しづつ。それが自分らしいってことにも気づけたし。

つい先日、3か月FAROに滞在していたインターンの大学生が帰って行きました。彼もコロナじゃなかったら、FAROに滞在することもなかったかも知れません。「またすぐ帰ってきます」って言って出ていったけど、やっぱり淋しい。でも宿ってそんな場所だと思うのです。淋しいけど嬉しい。飲食店やってる時から、それは変わらなくて「いつでもおいで。いつでも待ってるよ」そんな場所になりたいのです。

ゲストハウスのキッチンに置いてあるノートには、私やスタッフの名前が出てくることが多くなってきました。別れは淋しいけど、ノートを読むのが掃除に行くときの一番の楽しみです。

とりとめのない話になってしまいました。ありがとうございました。

GuestHouse&Lounge FARO 北林由布子

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