私の道のり④
教員採用から凸凹上の子の出産育児あれこれ
28歳でこで教員になったら、僻地だったせいか、既に女性教員の中で真ん中より上の年齢層になっていた。若手ではない新人生活の始まりである。
教員になる前から、私は発達障害(その頃は軽度発達障害と言われといた)に興味を持っていて、地域の軽度発達障害の懇話会の会員になって講演会を聞いたり例会に参加していた。採用されてからは組合の障害児教育部の学習会、そして全国障害者問題研究会の会員になり、全国学習大会がたまたま北海道に来てた年に参加したりと、研修や学習漬けな日々を送っていたのだった。
教員3年目で妊娠、4年目で出産と育休。子どもが一歳で復帰。しかし子どものちょろちょろさは度を超えていたらしく、最初に入った託児所では「言っても聞かないので耳が悪いのではないか」と言われ、いやこれは多分特性だと感じていた。
さらに4歳で入った保育園でも「お母さん、普通だと思っていますか?」
と聞かれて「いや、多分ADHDだと思ってます」と答えてしまう専門職な私。
今までの知識と経験でわかりますよ、と心の中では言っていた。
でもよくよく考えたら、園の先生たち、失礼な気がする。
そして同僚の先生とも、子どもの様子見て「自閉っぽさはないね」と話していたが、近くに児童発達の専門医はいないため、小1に上がるまで特に診断は受けずにいた。夏に100キロ離れた発達外来を受診するまでは…。
⑤へ続く
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