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きょうだい児のリアル。 きょうだい児の本を出した当事者も知人にいるけど… うちの兄妹みた…
自分自身の心身の崩壊 上の子のことと同時進行して、進んでいたのは自分のメンタル状態の悪化…
障害児者支援者から保護者へ、そして当事者に 挫折 「農業を生かして、障害者の居場所をつく…
間が空いてしまいすみません。 息子の発達外来受診の話の続きです。 ADHDだと思っていた…
教員採用から凸凹上の子の出産育児あれこれ 28歳でこで教員になったら、僻地だったせいか、既…
私はとにかく作ったり、実験したり、実習する人になりたかった。 そんなわけで、最初は農業改良普及員と実習助手の試験を受けていてあっさり落ちていた。 大学の時、卒業した先輩が勤務している高等養護学校の話を聞き、作業学習や生活単元学習が面白そうだとおもった記憶が蘇り、まず通信教育で養護学校の免許をとり、養護学校の教員を目指すことにした。(基礎免許は高校農業) 養護学校で様々な生徒の事例に触れ知識と経験を積んでお金を貯めて、退職後に農業系事業を開き、みんなが働ける場所、集まれる場
始まりは牛乳工場私は大学を卒業後、小さな牛乳工場に務めた。 近くには障害のある方が働いて…
今日の学び~これから少しずつ 私の過去からのアウトプットをしていきます。 話を聞いてくれた…