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コリスポンデンツァ ロマーナ

イタリアの大学は10月から始まる。2023年にも試験をこなす為5か月イタリアに来ていたのだが、その時も部屋探しは難航し、知人の部屋を3か月間貸ししてもらうという事で何とか解決した(残りは他州の友人宅へ避難)。しかしながら、今回はそこに空きはなく、どこかに部屋を見つける必要があった。ローマの友人が広告をチェックしてくれて、リンクを送ってくれていたのだが、気の触れたような住宅難の中、部屋は広告が出ると同時に消えて行き、時差がある日本からはどうにも太刀打ちできなかった。以前は部屋を見に行き、気に入るかどうか確認して、後日返事をするというのが部屋を決める手順であったが、今では部屋を見ることもなしに部屋を押さえることすらあるようであった。友達が色々なところに声をかけてくれたけれど駄目だった。大学には通う必要があった。出席は義務ではないが。イタリアでは出席することなしに試験だけ受けて、卒論を書き、卒業する生徒もいる。教授が発表するプログラムには出席者用と非出席者用があり、通わない生徒はより多くの文献を読んで試験に臨む。大体において出席して顔を覚えられている方が有利である。そんな事はどうでもいいという教授もいる。外国人の私は真面目に通って、教授に真面目に話を聞いている姿を見てもらって、その好印象でやり抜けてきた感がある。教授も人間だから、もちろんそういう事が加味されることはあるだろう。何よりも、本だけ読んで試験に臨むなんて詰まらないではないか。教授の人となりから学ぶことも沢山あると思う。試験で何が大切かも通っていれば知ることが出来る。部屋が必要であった。「イタリアについてから数日はうちに来てもいいから」と言ってくれる友達がいたが、いつまでもお世話になることは出来ない。でも、大学は始まるし、飛行機の切符も買った。出発することは決まっていた。ぎりぎりまで仕事をしていたため、ずっと部屋探しに充てる時間がなかった。絶望感一色。しかし、なんと、出発前日にある友人から、「友達の所に空きがあるって、トラステベレで家賃250ユーロ」とメールが。こういうのを奇跡と呼ぶのであろう。部屋が見つかったことも奇跡であるが、トラステベレとはよい立地であり、しかも家賃が250ユーロ、シングルルームである、10年前でもそんな安い物件は見つけることが出来なかった。大家とメールで連絡を取り、ローマについたら連絡するという事で落ち着き安らかに眠ることが出来た。けれども、ローマテルミニ駅に着いて大家に電話してみると、「売ることも考えているから長期で貸す気はない」と。「数日いたければいればいい」と言う。数日では困る。長期でなくてもいいが、とりあえず数か月は必要である、売ることが決まれば連絡してほしい、というと、了承された。と思った。トラステベレとは言え、観光地のエリアからは離れた、鉄道のトラステベレ駅にほど近い位置ではあったが、家賃250ユーロ、文句を言うことがあろうか。バイトをしなくても日本に帰る6月末まで生き延びていける、完璧だと思った。同居人はシチリアからの20代の女子と、友達の友達の30代のピザ職人の男子の二人であった。洗ったお皿や鍋がしばらく放置される環境であったが、そんなことぐらい目をつぶる覚悟をした。2009年に大学3年制を始めたころはこういう事が耐えられずに半年ごとに引っ越しをしていたが、10年もたてば、目をつぶらなければやって行けないという事を学ぶ。当番制で掃除はやっているようであったが、あまりきれいではなかった。ソファなど、座る気にもなれなかったが、座らなければいいだけの話だ。自分ひとりが掃除し続けるか、あきらめるか、どちらかである。そして、他人との共同生活で、この程度は序の口。しかし、1週間して大家から電話がかかってきた。「あんたの前に部屋を見た男の子が住むことに決めたから、来週出て行ってもらわなきゃならない」と。どうすればよかったのだろうと、たまに考える。居座ることもできただろう。けれど、いい環境とはいいがたい上に、居座る以上は大屋との闘いみたいなことになる。こんな気の触れた人間と関わっていくのも嫌ではないか。勉強しなければならないのに、変なところにエネルギーを奪われるのは嫌だった。だから部屋を探し始めたが、見つかるわけがないのだ。だって見つからなかったのだから。今回は全ての人にあたってみた。この人とは今後あまり付き合っていきたくないと音信を絶っていた人、知り合い程度の関係でしかない人、すべて。部屋を開けてほしいと言われていた週末に、友達が彼氏と3日旅行に行くからうちを使っていいと言ってくれた。するとほかの友達が5日間バルセロナに行くから、私の部屋にいてもいいよと。その後の当てはなかったけれど、部屋を出た。バルセロナに行った友達の家にいる間に、実は縁を切ろうと思っていたご婦人から返信があり、泊めてくれるという。ただ、コロナにかかったのであともう数日今泊めてもらっている所にいられないかということで、友人に訪ねると、いいよと言ってくれた。その滞在延期期間中に、最初に泊めてもらった家の彼氏の方が、以前住んでいた家では弟が出て行った後、ホームステイの学生を受け入れていたから、うちのお母さんが泊めてくれるかも、と言う話をちらっとしていたのだけれど、本当に泊めてくれると言う、2週間。その間、フェイスブックで連絡を取った10年前の同居人から返事があり、12月から部屋が空くと言う、家賃は10年前と同じでひと月350ユーロ。先に申し出てくれたご婦人には11月半ばから12月まで滞在させてもらいたいと伝えた。手筈が整い、8日間泊めてくれた友達の所を後にして、友達の彼氏のお母さん宅へ移ったのであった。地獄の部屋探しはこうして終わった。

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