人はなぜもめる??
信じられない 許せない そう思った時
そう感じる出来事が起こったときに、人はもめる。
他人と関わりを続ける以上、そういった出来事は避けては通れないかもしれない。
だけど、なるべくなら穏便に私は過ごしたい。
そうするためには、どうすればよいのだろう。
それぞれの正義
自分が正しいと思っていることをそれぞれ持っている。
その正義に伴って自分だけのルールを作っている。
その自分だけのルールが何者かに破られたとき、その何者かに許せないという気持ちを抱く。
ある程度親しくしていた相手なのなら、裏切られた気持ちにもなる。
でもその自分だけのルールって、「こうですよ」とは明確にならないもの。
あくまで自分だけのルールで国の法律みたいにみんなに共有されているものではない。
そして、ルールの核となる自分の正義というものも明確にならない。
生まれた環境、育ってきた環境
人それぞれ違うのだから、自分の正義というものも違う。
最低限の配慮
人にはそれぞれ計り知れない正義があるからこそ、この世で人と接する機会があるのならば、最低限の配慮が必要なんだと思う。
自分の正義も他人の正義だとイコールしてしまうから争ってしまうのだろう。
自分の正義はこうです
と、いちいち他人と付き合うたびに説明書に基づいて話すことは現実的ではない。
だから
「自分がされて嫌なことは人にはしない」という月並みな言葉になるけれど、結局はこれに尽きるのかもしれない。
それでももめてしまうときもある
でもそれでもやっぱり、もめてしまうこともある。
そんなときは、静かに距離をとり
自分の正義に走りすぎず、
一旦自分を見つめ直すチャンスとして
ポジティブに捉えていたい。
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