「葬送のフリーレン」レビュー

アニメ「葬送のフリーレン」


「葬送の」という言葉に全てが凝縮されているような物語
人生100年時代に突入し、人はなかなか死ねなくなった
その分、生きている時に関わった多くの人に先に逝かれることになる
「見送る」というまさに今の時代を生きる人々に降りかかった今日的なタイトルだと思った

全編に流れるアイリッシュな音楽と壮大な雰囲気
耳の大きな種族が主人公のファンタジーとなると私たち世代だとかの有名なダークファンタジー「ロード・オブ・ザ・リング」をすぐに想起してしまう。
そちらは世界を支配するスーパーパワーを持つ指輪を非力なホビット族が世界の果てに「捨てに行く」という冒険物語であったが、こちらは「冒険の後」を描く点が新鮮だ
主人公は人間ではなく、1000年は軽く寿命があるという種族で、絶滅の危機に瀕している。当然、多くの人間たちと短い時間を過ごしては、彼らが逝くのを見送っていくということになる。
ヒロインのフリーレンは当然の帰結として、別れを前提としての短い短い付き合いの人間たちの知る情緒を知らない少女として設定されている。
見た目は少女であるが、中身は老婆のような温度の低い話しぶりが印象的だ。(ま、そりゃそうなるわな・・)
絶滅危惧種という意味からも存在そのものがマイノリティの持つ孤独である上に、長い人生を生きねばならない
誰と交わったとしても、それは彼らを「見送る」ことが前提である。
フリーレンが「見送られる」ことはないわけである ああなんと悲しい

私が「死ねない人々」の物語として好きだった「ポーの一族」という漫画を思い出した。 バンパネラという人の血をエネルギーとし、不老不死の命を生きる。彼らの生命が狩られる方法は銀の弾丸で撃たれるなど非常に限られているため気を付けていれば永遠の若い命を生きることができる
少女時代にこれを読んで「死ねないという事はなんと悲しいことか」と思った それは私が人間である証で、子孫を残し老いて死んでいくというのが人であると刷り込まれているからなのかはわからない
ただ、「死」を恐れる以上に「死ねない事」が恐ろしいのだと小学生の私に思わせた作品だ 
人は生まれ落ちてきた以上、長短こそあれ、絶対に老い死んでいく
しかし、1000年といったスケールでの寿命となるとそれはもうほぼ不老不死と同じくらいの時間軸である 生きる意味などと言ったところで全くの意味をなさない。人間の人生観などは役に立たないのである
その孤独たるや、想像を絶するものがある。「ポーの一族」はそれを美しく物語っていた
フリーレンにふりかえると、子孫を作り、老い死んでいくという生き物の営みの輪の外にいるのであるから・・人間の持つ情緒などは当然持ち合わせていない。持ったところで、悲しいだけであるから
魔力というスーパーパワーを駆使して問題を解決はできる力はあるのだが、人間の持つ情緒という点になると、どこか欠落している
それが冒険をともにした青年ヒンメルを「よく知らないまま」見送ったことから、彼女の「何か」が始まる

動である戦闘シーンと、静である仲間との会話のシーンの緩急のリズムもよく飽きることなく観勧められた。
この手のアニメはセリフが良い。以下、とても印象に残ったシーンのセリフの抜粋である。
「年をとっても、私の心は子供の頃からほとんど変わっていません
理想の大人を目指して、大人のふりをして・・それを積み重ねてきただけです・・きっと私は死ぬまで、大人のふりを続けるでしょう。
子供には心の支えになる大人の存在が必要ですから・・特にフェルンは努力家です。沢山ほめて導いてあげないと」
「それじゃあ死ぬまで大人のふりを続けたハイターは誰がほめてくれるの?」
「そのために女神さまがいるんですよ。死ぬまではお預けですから」

もう大人と呼ばれて久しい私たちの年代にはなかなか泣かせるセリフである

ここまで生きてきて「大人」と呼ばれるようになってウン十年。
私もハイターと全く同感である。
自分自身が歳を取り、子供を産み育てても、いくら歳をとっても、それはその「役割」が回ってきたからやってきただけで、いくばくか「演技力」が上がってきたように感じるものの、自分が大人になったようには思えない。
死ぬまで大人の演技を続けるだけである。
どうせするなら名演をしたいものだけど、それもイマイチうまくいかなかったなあなどと思った



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