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【2020.04.03】「天災というものは人間の尺度とは一致しない」──『ペスト』(カミュ著)より

4月3日......
ものすごく、何か予定があった気がしてならない......

が、今の時間からの予定のはずはないので、もう考えてもしょうがない。もし何かすっぽかされている方がいましたら、この場を借りてごめんなさい。お知らせください、直接謝罪いたします。


夕方にランニングを入れてみた。およそ1週間ぶりのランで、心身がすごくクリアになった。おかげで、シャワーを浴びてご飯を食べてから、仕事第二ラウンドもはかどった。

考えてみれば、中学~大学2年の終わりまでの8年間、ほぼ毎日サッカー漬けの生活をしていた。もはや「運動している日」のほうが当たり前なのであって、「運動していない日」のほうが多くなってしまっている現状に、違和感を覚えないはずがない。

当然、年とともに、生活リズムもバイオリズムも変化する。「昔のようには動けんよ」というセリフが口を衝くようにもなっていく。

それでも、たとえ昔と同じ「強度」や「頻度」で動くことは難しくても、昔を思い出せる「感覚」を再現してみることには、意味があるのではないか。季節の風の肌触りから、かつての大切な気持ちがすっと蘇るように、活力を取り戻せるかもしれない。

外出を躊躇う状態ではあるけれど、十分な注意を払いつつ、運動は途絶えさせないようにしたい(幸いにもランニングは「三密」を避けられる)。


来る週末のために、買い溜めをしてある。

......と書いただけで、この社会情勢の中では反感を買ってしまいそうだけれど、買い溜めしたのは「本」。ここぞとばかりに、どんどん買い溜めればいいと思っている。

すでに話題になっている、『ペスト』(カミュ著、新潮社)を読み始めている。現状のコロナ騒ぎの中で、とても興味深い。

70年以上前に書かれた本だけれど、いま書店で大きく展開されている。

アルジェリアのオランという街で、突如ネズミの死体が急増し、原因がわからない死を迎える人が増え始める。最初は楽観が漂うが、次第に増える死亡者数に応じて、徐々に不穏な雰囲気が立ち込める。病の正体が、かつて各地で猛威を振るった「ペスト(黒死病)」だと判明すると、ついに街は門を閉ざし、外部との行き来を遮断する。

まだ読み途中ではあるものの、事態の流れも人々の心情の変化も、現在の世界と多々重複する。特に、医師である主人公のリウーが、病の正体がペストだと「気づいた後」の反応がとても興味深い。

ユスティニアヌス帝時代のコンスタンティノープルでは、1日で1万人以上の犠牲者が出た。かつて地球を襲った30回近いペストの蔓延は、1億人以上の死を招いている。

そこまでの恐ろしい具体的な数字を思い浮かべながらも、リウーにはまだ街の危機への実感がわかない。医者であるにもかかわらず。

天災というものは人間の尺度とは一致しない、したがって天災は非現実的なもの、やがて過ぎ去る悪夢だと考えられる。(p.56)

一向変わっていない市の様子を窓からながめながら、リウーは、かの不安と称せられる、未来に対するほのかな胸苦しさが、身のうちにわいて来るのさえほとんど感じるか感じないくらいであった。(p.57)

「黒ペスト」の最中に、鉤棒で引き出される病人、覆面した医者たちの狂宴。ミラノの墓場における、まだ生きている者同士の交合。おびえきったロンドン市中における、死体運搬車のむれ。そして、至る所、常に、人々の果てしない叫びに満たされた、夜または昼。いや、これらすべてのことも、まだ、一日の平和を抹殺するに足るほど強烈ではなかった。(p.59-60)

──以上、同書より


僕たちの尺度が、現状の本当の危険度と一致するのはいつだろうか。ある程度の外出自粛は進んでいるという数字を見たけれど、今の現状認識と行動で間に合っているのだろうか。

まだ1/3程度しか読めていない。果たしてこの先に描かれているものは、僕らがこれから経験することになる未来の姿なのか......知ることが恐ろしい気もするし、ここに何か希望を見いだしたいという願いもある。

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