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【2020.04.23】自分という「個」を強くしようと躍起になっていたのかもしれない。

今日は有給休暇を取った。用事があったわけでもなく、ものすごく体調が悪かったわけでもない。けれど、一度「何かを進めなければ」という感覚から離れて、ぼーっとしたかった。

休んだら休んだで、「せっかくの時間を有意義に使わなければ」というプレッシャーが生まれたりもする。時間は「過ごすもの」ではなく「使う」ものである、というこのマインドセットは根深い。

とはいえ今日は何をする気力も湧かず、読書をする気すら起こらなかった。ゆっくり本を読みたい気持ちは常にあるのだけれど、実際に読み進める気力が出てくるのか、自信がなかった。

けれど、本を読む意欲は、良い本を読むことによって生まれてくる。

「読んでおかなければ」と義務感を抱く本ではなく、かつて読んできた本のなかで、いまの自分を奮い立たせてくれるものを開いてみようと思った。そうして手に取ったのは、自社本で恐縮だけれど『シンクロニシティ[増補改訂版]──未来をつくるリーダーシップ』(ジョセフ・ジャウォースキー著、英治出版)だった。

あの無気力はどこへ行ったのか、夢中で読み入ってしまった。


著者のジャウォースキーさんは家柄に恵まれ、かつて非常に優秀な弁護士でもあった。ところが、当時のニクソン大統領が辞職に追い込まれるウォーターゲート事件に触れ、リーダーシップの危機を切実に感じるようになる。その後、離婚という大きな個人的事件を通じて、栄誉あったこれまで生き方の輝きが崩壊。一度からっぽになった心に「もっと大きな目的に身を捧げたい」という想いが灯り、人生の第二幕が動き始める。

その後の様々な出会いを通じて、かつて撒かれた種である「リーダーシップの危機感」への挑戦が始まり、やがてアメリカン・リーダーシップ・フォーラムを設立するまでに至る。この本は、彼が経験したこれらのリーダーシップ探究の旅路がストーリー調で綴られている。

この旅路のなかで注目される概念が、タイトルにもなっている「シンクロニシティ」。心理学者カール・グスタフ・ユングが提唱したもので、本書では以下のように定義されている。

二つ、もしくはそれ以上の出来事が意味深い形で偶然起こること。共時性。

ジャウォースキーさんの旅路は、まさにこのシンクロニシティの連続によって導かれていく。リーダーシップ育成という分野においては門外漢だった彼だけれど、その強い探究心を抱いた行動が、不思議なほどに重要人物との邂逅を実現していく。これらの導き手からの教えや縁が、自身にも信じられないほど次々と積み重なっていく様子を、彼はこんなふうに表現している。

支配はおろか予測さえしえなかった出来事が、私たちを進むべき道へとまっすぐ導いてくれるように思えたりする(p.3)

見えざる手によって助けられているかのようだ(p.3)

宇宙には潜在的な知性があって、生み出すべき未来へ私たちを導いてくれる(p.7)


僕は決して信心深い人間ではないし、非科学的なことへの耐性もそこまで強くない。けれど、このシンクロニシティの感覚は実体験から強く共感している。

8年間続けてきたサッカーを離れる決断をし、国際協力の活動に転身した大学時代。一つひとつの出会いから徐々に想いが強くなっていき、小さな行動の積み重ねの先でやがてTABLE FOR TWOという活動に出会い、僭越ながらリーダーの立場を経験させてもらった一連の経験は、何かの「流れ」のようなものに乗っかっている感覚だった。

「お告げが聞こえる」とかそういうのではなかったけれど、成し遂げたい目標が映像としてはっきりと見えていて、次に為すべきことや決断すべきことも自然と浮かび上がり、100%の自分で生きている感覚だった。そんなときは、出会うべき人と出会うべきタイミングで出会え、何かに後押しされている気持ちだった。


正直に言うと、この感覚はここ8年ほど失われている。病の経験が大きく、あの前後の自分が同じ人間だとは思えないほど、流れやつながりと分断されてしまったように感じる。いまは一時期に比べてものすごく回復し、気持ちも落ち着いているけれど、やはり「何かとつながれていない」という感覚が拭えない。

まだ読み終えていないけれど、今回この本を再読しているなかで、大事なことをいくつか思い出せた。

●ジャウォースキーさん自身も、この流れをつかんだ後に一度失い、そしてふたたび取り戻すことができた人であること。
●人生の流れを「支配」しようとするのではなく、流れに「委ねる」ことが大切であること。「無理に実現しようとする」のではなく「待つ」ことが重要であること。
●「絶好の好機」は、何かを心から望み、それに向けて一心本気になっているときに訪れるということ。
●世界の基本は「個の力」ではなく「つながり」によって成り立っており、自身を開いていなければならないこと。他者と向き合い愛するには、自分の全存在をかけて心を傾けること。

病の一連の経験が生み出してしまった劣等感やうしろめたさによって、ここ数年の僕は、自分という「個」を強くしようと躍起になっていたのかもしれない。

弱さを認めて自身を開き、つながりや流れに身を委ね、そうしてつながった他者の力を信じながら、いま自分がすべきことに一心本気になる。

流れに乗れていたあのとき、まさにそのような状態になれていたのだと思う。「エゴ(自我)システム」と「エコ(生態系)システム」という見事な表現があるけれど、後者の感覚を取り戻すことを、いま一番望んでいるような気がする。


明日への活力が湧いてきた。やはり読書はすばらしい。

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