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【2020.05.20】50日間書き続けて:大きな決断よりも、日々の訓練を。

今年度に入ってから、人知れず「毎日書く」というチャレンジを始めてみた。

ルールは3つ。

●1,500字以上書く。
●30分以内で書く。
●日付が変わる前に書き終える。

心がけていたことも3つ。

●掘り下げるよりも、垂れ流す。
●厳格に絞るよりも、自由に脱線する。
●人に読んでもらうことは目指さないが、人に読まれても恥ずかしくない程度にはととのえる。

遅くまで用事があった日と体調不良だった日だけは短縮版になった。稀に「ちょっとこの話題はもう少ししっかり書きたいぞ」と思った日は、1時間くらいかけてしまったこともある。

けれど、ほとんどの日においてはルールを守ることができ、今日でついに50日目となった。

3日でやめたら坊主。7日続いたら仏陀。

などと訳のわからないことを言いいながら50日間続いたいま、いったい何になれたのだろう。涅槃はまだまだ遠い気がしている。


そもそも、なぜこんなことをやろうと考えたのか。それは、「言葉の通路」をきれいにしたかったからだ。

本当に大切なことを語るとき、言葉は頭のなかでひねり出すのではなく、どこかから通路をくぐって出てきてくれる。そんな感覚がある。

その通路が、近年どうも詰まっている感じがしていた。出たがっている言葉を出させてあげられない感じ。

そうしているうちに、大事な言葉は、出たがることすらやめてしまう。


そんな状況に気づきながらも、なかなか重い腰を上げられずに過ごしきた。けれど去年、そうして見て見ぬふりをするのはもう限界だと感じた。

その結果、死に物狂いで書いたのがこの記事だった。なぜもう限界だと感じたのかも書いてある。

これを書き切るのは本当に大変だった。

そもそもこのとき、言葉の通路はいま以上に詰まってしまっていた。そして、書く内容も内容だった。

いつかどこかで、これをオープンに語り切ってしまう必要がある。ずっとそう感じていた。これを語れないことが、この話を避けて生きることが、どれだけ自分の生き方を阻害してしまっているか。

それを感じていながらも、どうしても書けなかった。けれど、どうしても書かなければならなかった。

嬉しかった後押しと悲しかった後押しがあって、去年の10月にようやく書き切ることができた。そうして書いてみて、やはり自分のなかで変化が始まった。

大切な言葉と少しずつつながりを取り戻し始めた。それはそのまま、人とつながりを取り戻すことにも通じていた。人とのつながりを阻害していたうしろめたさ、何かを隠しながら生きるうしろめたさが、引け目を公に語ってしまうことによってはがれたのだと思う。


とはいえ、まだまだ自分らしい言葉との距離は遠いと感じていた。長年の通路の詰まりは、そう簡単にすべてきれいにはならない。

大きな決意によって、大きな詰まりは取れた。
今度は小さな行動の積み重ねによって、小さな詰まりをひとつずつ取っていくときだ。

大きな決断よりも、日々の訓練を。

それがいまのフェーズであり、この日記企画はその具体策のつもりで始めた。


思えば、「書く」ことと付き合い始めたのは高校1年の秋だった。

サッカー部に所属していて、その日は高校サッカー選手権都大会の2回戦。国学院久我山高校に4-0で負け、あの強かった3年生たちが引退した日だった。

この日を境に、憧れていた中村俊輔選手にならってサッカーノートを付け始めた。この習慣はずっと続き、大学2年の終わりにサッカー部を辞めてからも、日記やブログに形を変えながら続いた。ほぼ毎日、8年くらい継続したと思う。

そんな日々のなかでも特に、国際協力の活動を始めたあたりからの「誰かに読まれる場で綴った文章」は、自分を鍛えてくれた。笑わせようとして書いたこともあったし、共感してほしくて書いたこともあったし、訴えかけるように書いたこともあった。

それらのどの文章にも共通していたのは、他者に読まれることに付随する「責任」や「覚悟」があったことだと思う。

人を傷つけない配慮。嘘をつかない誠実さ。本当の言葉を届けるための熟慮。

そういうものを伴って言葉を取捨選択する過程は、自身の思考や想いを磨いてくれる。だから、心身がクリアで、言葉がもっともスムーズに通路をくぐってやってきてくれた時期だった。


この日記は「読んだ人の心を動かす」にはほど遠い文章だ。でも、まずはそれで良し、そのほうが良し、と思って書き続けた。

書けなくなっていた要因を探るなかで、「うまく書こうとしてしまうこと」が筆を止めていたと気づいたからだ。

出版社に勤めるようになり、編集の仕事にも携わり始め、周囲には文章のプロたちがたくさんいる。そういう立場に置かれることで、「うまく書かなきゃ」というプレッシャーが高まる。そして「うまく書けそうもないのなら」と、書き切らずに途中で消してしまうことが多かった。

要は、人目を気にし過ぎていた。

だからまずは、とにかく「書くことに対する抵抗感を薄める」ことから始めようと考えた。

内容どうこうではなく、とにかく言葉を流し続ける。詰まっている泥を出し切るまで、ホースから勢いよく水を出し続ける。

みっともなくてもいい。まずは通路の洗浄さえできればいい。

とはいえ最低限の言葉のマナーは守りたい。そんな理由で、積極的に拡散はしないまでもnoteという公の場で書くことを選んだ。


50日間書き続けてみて、たしかに通路がすっきりし始めていると感じる。

書く場面においても、口頭で語る場面においても、少しずつ、言葉を通す際の詰まった感覚が減ってきている。手を伸ばすのだけど、袖から先の腕が透明で何も掴めない、そんなもどかしさが解消されつつある。言葉を紡ぐことに、楽しさすら感じられるときも増えてきた。

同じ取り組みをいつまで続けるべきか。そろそろ別の訓練の段階に入ってもいいかもしれない。

日々、思考の断片でもいいから言葉として形にしてみる。それは、ひとつずつレンガをつくり、倉庫にストックしていく作業なのだと思う。レンガが溜まってくると、それらを組み合わせて何かを建ててみたくなる。

そういう「ある程度まとまったもの」を書き始める段階が、もうそろそろ来るかもしれない。

そうなると毎日書くのはさすがにきついな~なんて思いつつ、とりあえず5月いっぱいはいまのまま続けてみようと思う。


ひとまず自分に、「50日間おめでとう!」と言いたいな。言おう。

おめでとう!

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