見出し画像

【2020.05.07】「何を書くか」と同じくらい、もしかしたらそれ以上に、「何を書かずにいるか」に強い覚悟が表れる。

日々の日記を書くというのは、一つひとつレンガをつくる作業なのだと思う。

断片的な小さな気づきを、確実に固めていく。それぞれの気づきは最初はバラバラだが、その数が増えてくると、次第に相性の良い気づき同士が近づき始め、やがて接合する。原子が分子になる。しかしまだ、その形は不規則な凹凸を持った歪なものである。そうした不細工なカタマリがあちこちに生まれ始め、いつしかちょうど凹凸がきれいにはまるカタマリ同士も接合し、何かの造形物に生まれ変わっていく。

こんな取り留めもない日記を書いているけれど、書くなかで確実に、断片的にでも思考が整理されている。こうしてバラバラでもいいからレンガをストックしていくことで、いつかそれらを組み合わせて統一された思考の造形物を生み出せる気がする。

今はコツコツと鋳型にドロドロのセメントを流し込み、整形し、溜め込んでいく時期だと思っている。


......


ゴールデンウィークも、かなりの時間を使って文章と向き合っていた。こうして自分の文章を書く作業もそうだけれど、それとは別に、ボランティアで受け持っている年次報告書の編集・校閲作業があった。ここに丸二日くらい使ったかもしれない。

おかげでダラけ過ぎることがなく、連休明けの今日もボケずに仕事に入れた感じがする。本業の編集方針を悩んでいた原稿も、ようやく案が形になってきた。

著者の実体験に基づく洞察には、どうやったって他人である自分には、同じ深さにまでたどり着くことはできない。それらしき場所まで潜れたと思っても、本人が得ているであろうその肌感覚までは決してわからない。わかったと思ってはいけないとすら思っている。

そんななかで、著者の溢れる想いや気づきに対して、ときには「削る」という提案をすることになる。その一か所においては素晴らしい要素であったとしても、文章全体のなかで見ると本旨を薄めてしまう場合はある。

「きっと削りたくないほど大事な想いなのだろう。けれど、もっと大事な想いを最高に際立たせるためには......」

と、何度も何度も反芻した上で、苦渋の思いでカットを提案する。

「One Book, One Message」と教えられたことがある。「今回はこのメッセージに集中する」というのは、ひとつの覚悟だと思う。「何を書くか」と同じくらい、もしかしたらそれ以上に、「何を書かずにいるか」に強い覚悟が表れる。「こんなに大事なメッセージを削ってでも、こっちのもっと大事なメッセージを際立たたせる」と。そうした覚悟の連続のなかで、文章が持つ力は増していく。

そう思うと、こうして続けてきた日記には、なんて覚悟が足りないんだと痛感する。書きたいことを書きたいがままにすべて書いているだけだ。月に1本くらいは、覚悟を決めた文章も書かないと錆びついていくかもしれない。


......


昨晩は気分転換に、大好きな『みんな彗星を見ていた──私的キリシタン探訪記』(星野博美著、文藝春秋)を読み返してみた。こ~~~れがやっぱり最高過ぎる。私的「こんな文章書けるようになりたい」ランキングのトップレベルです。

文庫版のこの装丁も美しいけれど、僕が持っている単行本版の青のデザインも素晴らしい。

この本は、おすすめした人が例外なく「めっちゃよかった!」と言ってくれて、そのまた次の人へもおすすめされていくような一冊。

星野さんがキリシタンの歴史を「教えてくれる」のではなく、星野さんとキリシタンの歴史を「一緒に探究する」感覚でぐいぐい読めてしまう。過去の歴史に遡る場面と、現代の星野さんの探求の動きがパラレルで進んでいくので、まるで右脚と左脚を交互にリズミカルに出していくように、ページをめくる指が止まらなくなる。ところどころに差し挟まれる爆笑エピソードも素晴らしい箸休めに。

遠藤周作の『沈黙』が好きな方はぜひのぜひに。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?