【2020.07.21】誰のために手を合わせるのか。
お墓参りへ。
線香って不思議だ。煙の姿を借りて、魂が揺らめきながら何かを語りかけているような気がした。
僕はたぶん、こうして死者に手を合わせる行事を、実のところ亡くなった本人たちのためにはやっていないのだと思う。
「忘れないでいてくれて嬉しい」という気持ちは、死者たちよりも、その人たちのことを大事に思っていた、遺された人たちにこそ感じてほしいと思っている気がする。「あなたが大事に思っていた人のことを、僕もいまでも気にかけていますよ」と。
もうひとつは、自分のためにやっている。大事なことを思い出したり、気持ちをリセットするために。
誰のために手を合わせるのか。
こうして本音を並べてみると薄情にも聞こえる。けれど、自分が墓の中に入ったら、やはり僕のためよりも、悲しんでくれている人がいるのならその人たちのために、そして手を合わせてくれる本人のためにやってほしいと思う。
「亡くなった方のために」という気持ちを、僕はまだうまく言語化できない。その人に対しても、もちろん想いを馳せる。けれど、遺された人たちや、まだ生きている自分が、「自分たちの分」を豊かに生きられるようにしていくこと、最後はそっちのほうに気持ちがいく。
やはり僕が死者になってしまったら、そうであってほしいなと思う。
7/24も別の大事なお墓参りの予定だった。けれどこちらは場所が遠すぎて、いまの社会情勢では難しいと判断して断念。今年の7/24は、僕は何を思うのだろう。
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