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時の波圧と、風の声──『風の歌を聴け』(2024年1冊目)

文字を食べて生きているんじゃないか。長年そう思っていた。

けれど近年は食べられない日々が続いていた。仕事柄、細心の注意をもって原稿の一字一句を追う日々だから、胃もたれしていたのかな。どうしても、自分のための読書に使う体力が確保できずにいた。

2024年。今年こそ、読むことも書くことも取り戻したい。

そう思って手に取った1冊目が、村上春樹さんのデビュー作『風の歌を聴け』だった。

読書疲れをして文章が頭に入ってこない──そんなときでもスイスイと飲み込むことができ(いい意味で咀嚼が少なく、アゴが疲れない、それでいてときどきゆっくり味わいたい文章が出てくる)、読み通したころには読書のリズムが回復している。

僕にとって、そんな調整剤のような、常備薬のような本。


前回、最後に読んだのが2017年10月21日。あれからもう6年以上経っていたのか。ちなみに今回が7読目。

懐かしい気持ちとともに、以前とは違う読み心地や響く箇所の違いを感じていると、次の一節がかつてなく沁みた。

夏の香りを感じたのは久し振りだった。潮の香り、遠い汽笛、女の子の肌の手ざわり、ヘヤー・リンスのレモンの匂い、夕暮の風、淡い希望、そして夏の夢……。
しかしそれはまるでずれてしまったトレーシング・ペーパーのように、何もかもが少しずつ、しかしとり返しのつかぬくらい昔とは違っていた。

『風の歌を聴け』村上春樹著、講談社、1982年(p.135)

時が自分を押し流していく感覚。その圧力が年々強くなってきていると感じる。それは、親族が増えているからか、家族の老いに気づくことが増えたからなのか、自身の否応ない変化や焦りについていけなくなっているからなのか。

それぞれのシーンに一期一会の儚さをこんなに感じたのは、今回が初めてだった。一瞬で通り過ぎていく風のイメージと重なり、『風の歌を聴け』というタイトルも、いままで以上に何かを訴えてきた。

それは近年、自分が一瞬いっしゅんに聞こえてくる声を蔑ろにして生きていたからかもしれない。年末に1年を振り返ったとき、担当した本の出版のこと以外、その月に何をしていたのかほとんど思い出せなかったことにショックを受けた。


時の波圧への耐性が、弱くなってきている。スマホのカレンダーを一気にスクロールすれば、生まれた日へも死んでいるであろう日へも、一瞬でたどり着いてしまう。

いま読めてよかった。またゆっくり、その瞬間のいろいろな声に丁寧に耳を傾けたい。読書の中でも。

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