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【2020.04.18】「謙虚」の英訳を"respect"にしてみるのはどうだろう?

『炎の体育会TV』に中村俊輔登場! 何年経っても僕にとってヒーローであり、ファンタジスタ。

ボレーシュートで15枚のパネルを抜くチャレンジ。丁寧なインサイドキックで徐々に感覚を調整していく、中村俊輔らしいプレーだった。

「天才」と一言で形容されがちな選手だけれど、この選手の本質は「緻密な観察力と分析力」、そして「圧倒的な努力量と修正力」だと思う。信じられないようなインスピレーションも、これらの積み重ねから生まれているものだと感じる(2004年アジアカップのオマーン戦で見せた華麗なダブルタッチからのアウトサイドシュート。あのアイデアは日々書き続けているサッカーノートに記してあったらしい)。

多くの興奮をもたらしてきてくれたこの選手は、番組でもやはり魅せてくれた......! 思わず拍手してしまうね。

番組内で紹介されたこのエピソードは知らなかった。

俊輔も所属していたスコットランドのセルティックの下部組織にいた、当時10歳のキーラン・ティアニー。練習にゲスト参加した俊輔から「一番いいプレーをしていた」と評価され、スパイクをプレゼントされる。それから10年以上経って、現在彼は32億円の移籍金で名門アーセナルに所属、スコットランド代表経験も持つ選手として活躍している。

そのときもらったスパイクは宝物で、彼はずっと俊輔に憧れて練習してきたらしい。素晴らしい......。


僕もティアニー選手と同様(と書くとなんだかおこがましいけれど)、中村俊輔という存在に大きな影響を受けてきた。

俊輔は、サッカーを始めたばかりだった頃の僕に「向上意欲」という概念を教えてくれた存在だ。決していまの自分に満足することなく、常に上を目指す姿勢。そのあり方に憧れ、決して現状に甘んじず、調子に乗らず、常に自分に足りないものを見つめることを大事にしてきた。

けれどその姿勢は、あるときを境に、非建設的なものに変わっていってしまった。それは、高校でサッカー部に入り、小さい頃からクラブチームで活躍してきたような人たちに囲まれ、自分が井の中の蛙であることを知ったときだった。

「いまの自分ではまだまだ。だからもっと上を目指そう」という気持ちは、いつしか「いまの自分ではまだまだ。だからダメなんだ」という後ろ向きなものに変化してしまっていた。

いまから振り返ると、これは「謙虚」から「自己卑下」への変遷だったのだと思う。「自信を過大評価しない」という点においてはおそらく同じ。けれど「自己卑下」は、必要以上に自身を低く貶め、力を発揮させなくしてしまう、とても破壊的な精神状態なのだと思う。

このふたつの違いを掘り下げて考えているうちに、あるときひとつの気づきが生まれた。それは、

「謙虚」の英訳を"respect"にしてみるのはどうだろう?

という思いつきだった。

謙虚とは、自身を低く扱うことではない(謙譲語がある日本では特にこの傾向が強い気がする)。そうではなく、むしろすべてのものに対して敬意を抱く姿勢のことではないか。自己評価を低くするのではなく、他者に対して敬意を払う。そして自分自身に対しても、不必要に貶める代わりに、同じように敬意を払う。

自身に向ける敬意は、向上意欲を邪魔する「自己満足」と同じものではない。「自分は最高だ。これ以上何も必要ない」という傲慢な気持ちではなく、たとえば「足りないものも多々あるけれど、あるものはあるし、足りないものを補っていく力も持っている」と捉える力なのだと思う。


日本の選手は、相手選手を敬い過ぎて、自身の力を発揮できなくなる傾向にある。

このように語っていたのは、元サッカー日本代表監督だったイビチャ・オシム。たしか『考えよ! なぜ日本人はリスクを冒さないのか?』(イビチャ・オシム著、KADOKAWA)という本で知った言葉だと思う。

自身の力を発揮できなくなるほどに相手を過大評価することは、本当のrespectではない。そんな趣旨だったと思う。

相手の素晴らしさも、自身の力も、どちらも曇りなく見定める。そして見下すことも臆することもなく、100%の自分で対峙する。それが本当の"respect"なのではないか。この本から、僕はそんなことを学んだ。

そんな姿勢こそが最も建設的であり、理想的な「謙虚」のあり方なのではないかと。

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