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【2020.04.07】「いままでと違う環境」に適応するなかにおいても、「いままでどおりの言葉」も大切に。

昨日の日記で書き忘れていた。日曜の深夜、ついに『キングダム』アニメシリーズ第3弾が始まった。身を正してテレビの前で待つなんて、久しぶりの体験だったな~

7国が群雄割拠する春秋戦国時代の中国。後に中国を統一することになる秦に対して、趙・楚・魏・韓・燕・斉の6カ国が同時に攻め入る出来事を描いた「合従軍」編。

このパートがどれだけ熱いかは、先日書いたとおり。先日書いたけれど、あまりにも熱いので再掲する。

『ドラゴンボール』におけるナメック星(フリーザ)編であり、
『幽遊白書』における暗黒武術大会(戸愚呂)編であり、
『るろうに剣心』における京都(志々雄真実)編なのだ!

漫画ですでに読んでいる内容ではあったけれど、改めて観て驚いた。敵が歴史上も稀にしか見ない合従軍であることに気付いた秦国王の嬴政(えいせい)は、即座に全城に緊急事態宣言を通達し、籠城体制に入るよう指示する。

なんてタイミング......僕らも、いよいよ。


SNSを見ていると、FacebookもTwitterも、どちらもコロナ関係の情報に溢れていることは変わらない。けれど、その内容にはだいぶ違いがあるように感じる。

Facebookでは、投稿者が「みんな知っておくべき」「役に立つ」と感じている情報や、情報の総括のような文章の投稿が多い印象。対してTwitterは、リアルタイムの生々しい情報(写真含む)、政策批判やその風刺大喜利が大量にリツイートで目に入ってくる。そして、ポジティブな発言に対してもコメント欄が荒れていることが多い。「文字数の制限」や「記名・匿名の違い」が大きな要因になっているのだとは思うけれど、Twitterのほうがやはり見ていて疲れる。

そのTwitterの情報、というか論争のネタが、ここ一ヶ月くらいでその性格を変えてきているように感じる。

「対政府」「対メディア」「対非自粛者」への批判は早くから多く見受けられていた。けれど最近は、多くの人が批判する政策に対して寛容な姿勢を取る人たちへの批判も目立ってきた。「お前たちが間違った政策に対してちゃんと怒らないからこんな状況になっているんだ」と。

「落ち度のある本人への批判」に加え、「落ち度に対して寛容な第三者への批判」も生まれてきている、というような印象。ネガティブな取り組みに対してだけではなく、パッシブ(受け身)な姿勢であることに対しても、批判が向かっている。そんな気がしている。


だからなんだとまではまだ考えていないけれど、なんにせよ「SNSを開けばコロナ一色......」という状況は、あまりヘルシーではない。もちろん、逃げずに追わなければいけない情報も多々あることは前提としてのことだけれど。

もう少し、「いままでどおりの言葉」にも触れたい。この状況に対するポジティブな情報や言葉であっても、それだけではなく、一人ひとりの「いままでどおりの言葉」にも触れたい。そんな欲求がわいている自分がいるように思う。

そして、自身も「いままでどおりの言葉」を失いたくないと思っているのだと思う。今日はだいぶ書いてしまったけれど、この日記ではできるだけコロナと関係のないことを書きたいな~と思っていたりする。

ここ数日何度も紹介してきた『ペスト』(カミュ著、新潮社)のなかで、長い封鎖生活を通じてかつての言葉や感覚を失い、封鎖が解けた後になってさえ、それらが戻ってこない人たちの描写があった気がする。

言葉や感覚は、使っていないと驚くほど廃れていく。そして一度廃れてしまったものを取り戻すのは、簡単なことではない。これは長い病を経て痛いほど抱いている感覚。「ブランクを取り戻すには3倍の期間が必要」という言葉を聞いたことがあるけれど、それは決して大袈裟なことではないのかもしれない。


「いままでと違う環境」に適応するなかにおいても、「いままでどおりの言葉」も大切に。言葉が持つ力は、他人を動かすだけではない。自分の言葉が、自分の目や耳に入り、自分自身の感性を育む、そんな力も持っている。

少なくとも、つながりの深い友人や仲間たちには、「いままでどおりの言葉」も見せ続けてほしいなと切に思う。

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