見出し画像

「人を思いやる」の難しさ

はじめに

人間はしばしば我が出てしまいがちである。
我と我がぶつかれば人間関係の破綻を招く。
かと言って、我を殺して受け入れればうまくいくわけでもない。

これは一般VRChatterであるふぁんの独り言であり特に何か深い意味がある訳ではないことを断っておく。

「優しさ」ってなんだろう


「優しさ」
これは結構難しいモノだと考えている。
無条件に相手に寄り添えばそれで「優しさ」になるのかと言うと、わたしはそうではないと思っている。
相手に過度に問題があれば、それをそっと優しく指摘するのも「優しさ」の一つ。
指摘するだけじゃない。指摘した後、それがどうやったらより良い感じになるのかを共に考え、それを一緒に実行していく。それも一つの「優しさ」の形だと思う。
最初はうまくいかないことも多い。
その度にうまくいかなかったこと振り返り、より良い方向へ向かう方法を一緒に考えて伝えていく。
いいんだよ、1回2回うまくいかないことくらいは。私は大した問題ではないと考えてる。
次にどうしていくかが非常に大事なんだと私は思う。

相手の心の準備も必要

上記のことを行うには私の気持ち以上に相手の気持ちがすごく大事で、やってみたいと思ってないことを無理にはやらせてはいけないと思っている。
あくまで相手のやりたい気持ちが主体。
私は相手のやりたいに寄り添う形で並走をする。
繰り返しになるが、上記のことを押し付けてはいけない。それは自分の気持ちの押し付けになってしまうから。

よりよい人間関係構築のために

相手のやってみたいを実現するために、自分にできることを協力する。逆に自分のやってみたいを実現するために、相手に協力してもらう。
バランスが一時的に崩れることは人間よくあることなので別に問題はないと思うけれども、これが崩れたままの状態が長期に渡って続くとそれは不健全な状態になる。
不健全な状態になれぼ、ほんの少しのきっかけでボロボロと関係が崩れてしまう。
持ちつ持たれつを意識して行動選択すると少しでも上手くいきやすくなると思っている。

お互いに相手を思いやる。
すごく単純なようで実際に行動に移そうとすると非常に難しいことである。
そして、それを継続し続けるのは本当に難しい。

「君」は相手を思い遣れてるだろうか。
胸に手を当てて考えてみよう。
今はできてないかもしれない。それはそれで構わない。
今から少しずつやってみれば、いつかそれなりには思いやれるようになると思う。

いつか現れる「失いたくない人」に出会ったときに、最善の行動選択ができるように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?