【おやすみプンプン】「自分」という神
おやすみプンプンは個人ごとになにを「信仰」するか、というのが非常に重要なテーマとなっている。この漫画では、それぞれ過去も考えも違うキャラクターたちから「神様」という同じ言葉が幾度となく登場する。
その中でも、非常に似ている思考を持ち合わせているなと感じた2人がいる。その2人をベースにして今回は感想を書き綴ろうとおもう。
読み返して気持ちが昂った衝動で描いたものだから結構あやふやだったりする。興味を持ってくれた方は見てほしい。
神と親
恐らく一番この漫画で神様が描かれたのは主人公であるプンプンだ。
彼は幼少期の頃に道で迷子になり、そこを助けてくれた叔父の雄一さんから、次に何か不安なことが起こった時のために「神様神様チンクルホイ」というおまじないの言葉を教えてもらう。その言葉を唱えると、神様が至る所から顔を出してプンプンと対談をし始める。
幼少期のプンプンは、困ったら神様から何かアドバイスをもらおうと頻繁に問いかけるが、返ってくるのはいつも適当な言葉。
結論から言うと、この神様は超次元的な全知全能の神なんかではなく、ただプンプンの脳内の一部に過ぎないということだった。
「神様神様チンクルホイ。…そう唱えると神様が来てくれるって、子供の頃、叔父さんに教えてもらったんだ。いつからだろう…それがただの自問自答と気づいていたのは。」/おやすみプンプン132話
プンプンにとっての神様は結局自分自身で、最終的に信じられるのは自分だと言うところが後半の落とし所となっていく。
で、
この「神様神様チンクルホイ」という言葉、雄一叔父さんから教えてもらった言葉なのですが、これは雄一さんが独自に編み出したものではない。雄一さんは「八木さんの娘」からこの言葉を教わっている。
「八木さんの娘」は雄一さんが陶芸教室で働いていた時代に、生徒だった八木というおばさんの娘さんである。
八木母は娘のことを縄で縛って監禁しているらしい。その理由は漫画内で詳しくは明らかになっていないが、父親の描写がないことと八木母が雄一に猛烈な好意を抱いてることから、家庭内で何かあったのだろう。その愛情だか憎悪だかわからない矛先が娘に向いている。
…私、同じクラスの男子の子供を妊娠して、半年前に堕ろしたんです。…別にいいんです。学校なんてたった三年ですから。でも、母が…母はどこかおかしいから…これ以上、悪い虫がつかないようにって…普段、私は本当に家の柱で、縄で縛られて、生活してるんですよ?/おやすみプンプン34話
そんな生活をさせられて、良いことなど全くない彼女は、神様にお願いをするようになる。しかし、神様にお願いするしかない自分にどこか嫌気もさしている。
「神様神様…チンクル…ホイ。」
「…でも神様なんて実際に見たことなんてないし、どれだけ必死にお願いしてもいいことなんて起きないし…私は、いもしない神様に頼るしかない、こんな自分が嫌いだったんです…。」/おやすみプンプン34話
そうして娘は、母親を殺そうとする。その依頼主として、目的は言わずに身体の関係を利用して雄一にどんどん接近する八木娘、しかし、雄一はギリギリ残っていた倫理観で彼女を突き放す。
2週間後、同じ陶芸教室で勤務していた鷲尾さんがまんまと八木娘の身体の罠に嵌められ母親を殺します。母親を殺せるなら娘は誰でもよかった。はず。
八木娘は自分が起こした行動によって親という神からの呪いから解放された。今まで苦しんでいた事が自分の手で解決できた事によって自分自身を信仰できるようになった。いうなれば、自分が神になった瞬間である。
「…雄一さんにはもう…関係ないじゃないですか。心配しなくていいですよ。私にはいつだって…神様が見守っていてくれますから。」/おやすみプンプン38話
子供は親を無条件で愛さなければならない。故に親は絶対だという気持ちが誰しも芽生える。人間という生き物の育ち方的に、親は子供にとっての絶対的な信仰、神として依存してしまう事がある。
そこから逸脱した彼女は非常に強い女性となってその後の人生を真っ当に生きているらしい。
まず一つ、そういうサイドストーリーがある。
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次におやすみプンプンの両親について。
プンプンは三人家族の一人っ子である。しかし、物語の序章でプンプンが幼い頃に両親は離婚してしまい、父親と離れ離れになってしまう。その後叔父の雄一さんと母とプンプンの三人で住む事になるのだが、プンプンは母親のことがどうも嫌いで、基本的にはずっと孤独を抱えて生きている。
プンプンの家はめちゃくちゃに放任主義で、幼少期のプンプンに絡んでくれる人は叔父の雄一さんと小学校の友達、そして愛子ちゃんくらいしかいない。
そういう意味で、プンプンには親が神にはならず、親というしがらみもほとんどない状態で過ごしていた。八木さんの娘と対だ。
しかし先ほど書いた通り、この2人は神様チンクルホイという言葉を一度は信じ、最終的に同じ思考に辿り着いている。
そしてプンプンは、前述した小野寺雄一と八木娘の間で起こった出来事のような行動を起こす。
親以外に本気で愛せる存在
プンプンは幼少期に、転校してきた田中愛子という女の子に一目惚れする。そこから田中愛子とプンプンを主軸としてこの物語は進んでいく。
大人になるまでのプンプンは、まるで自己肯定感が無かった。地の底と言ってもいいほどにだ。
しかし、田中愛子を束縛する母親を(ほぼ)殺したことが原因で、愛子を自分のものにし、彼は自分の行動が全て正しいと思うほどに覚醒する。
プンプンにとっては、実の親は神ではなかった。しかし、本気で愛している人の親を殺すことによって、自分の信じたものを本当の意味で手に入れることができた。
その覚醒の瞬間が、この漫画タイトルと対になる「おはようプンプン」というあの言葉なのである。
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八木さんの娘とプンプンは、神様という存在が曖昧なものに縋る自分から、親殺しを経て信じられるものは自分であるという結末に辿り着いている。
この2人にとっては、神は自分自身なのである。
神を殺して自分が神になるという同じプロセスを辿る2人は漫画内で会うことはないが、「神様神様チンクルホイ」という言葉で2人は小野寺雄一を通じて繋がっている。しかも、この言葉を信じている人以外に親を殺すプロセスを辿って自分に自信をつけた人はいない。言霊というやつだろうか。
しかし神様という偶像を辿って自分に自信をつけていくなら、それはもうその時点で神様は存在するということなのではないか?
プンプンは結局愛子ちゃんに殺されるという夢が叶わず、運命の人とは刹那的にしか結ばれなかった。そうすると八木さんの娘も、自分を信じることができなくなるタイミングもあるのだろう。神は恒常的なものでないのかもしれない。
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母が事故で死んだシミちゃんは、事故の当日友人の関くんに洗脳されて、母親という幻影、そしてうんこ神という存在しない神が見えるようになる。また、生きるのが一番の苦痛だと悟り親を殺したEBJの男も、罪悪感に苛まれて親が毎日夢に出てくるようになる。
他にも自分が神だと、漫画内で唯一発言してくれたペガサス合唱団の星川だったり、神なんかに囚われないでこれから先のことを考えようとする現実思考の南条やプンプン母や大隈翠だったりと、この漫画にはいろんな人物が登場する。
難解なゆえ、プンプンと愛子に焦点が当たりがちな漫画であるが、読み解くと本当に色々な発見がある。自分もまだ読み解けてない部分がたくさんあるから気になった方はもう一度読んでみてほしい。そして感想をネットに流してくれ。おやすみプンプンの感想がネットに少なすぎる。
そんなわけで今回は八木さんの娘とプンプンの話を綴った。またなんか書こうと思う。
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余談.神がテーマになる話に「ゴールデンカムイ」という漫画があるが、そこに登場する関谷輪一郎というキャラが神を信じるシーンがある。
このシーンと八木さんの娘が神を信じるシーンが似すぎていて笑ってた。
空を神と形容して表現するの、凄く壮大で取り留めのないものって感じがしてとてもオシャレですき。それだけの話。
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