アイドル・田中久美さんのこと②

①の続きです。


明菜の世界観を受け継いだ久美さん


しかし、84年前半にいた、【聖子の歌の世界観にいる田中久美】はその後、こつ然と消えてしまうことになる。

3rd『少女の中の悪魔(デビル)』


8月に発売された3rdシングルは、その名も『少女の中の悪魔(デビル)』。悪魔という字面…いかにもただごとではない。
作詞曲も三浦・小田コンビを離れ、篠塚真由美・馬場孝之コンビへと変わった。
歌詞のツカミは「秋の制服、胸苦しくて」と違う意味でドキっとさせられる。
しかもトドメが、「赤いマニキュア わざと残したあの日の証拠…」
あの日の証拠とは、一体?キスのことか、それとも…。真実はわからないが、ただならぬ事件性を感じさせる。
そう、久美さんは、聖子から【中森明菜の音楽面での世界観を歌うもの】へと変わってしまったのだ。
調べると、作詞の篠塚は中森明菜の1stアルバム「序幕」で作詞提供をしていたし、確信的だ。

それまで少女然とした世界を歌ってきた久美さんは何処へ!?とびっくりして当然である。
それもそのはず、レコード発売時のキャッチコピーは「この夏、少女は変わる。」
つまり、このイメチェンは最初から意図していたもので、ビックリさせてやろうというスタッフの思惑だったのである。
【初期聖子の世界から、初期明菜の世界へ移行する】という計画が当初からあったことは、アルバム『KUMI〜地中海DOLL〜』発売が7月、3rdシングル『少女の中の悪魔』発売が8月、と発表スパンがあまりにも短すぎることからも確信できる。

赤と黒の衣装に身を包み、複雑な思春期の少女の中に現れる感情…つまり、悪魔の部分を、久美さんは見事に歌ってみせた。
久美さんは聖子に加えて、明菜の世界まで歌えるという表現の幅が広い優秀アイドルだったのである
久美さんならそれが実現可能とスタッフが思ったのも、久美さんの表現力の幅広さを見込んでのことだったのだろう。

4th『火の接吻』 


続く年明けに発売された4thシングルは『火の接吻』。もう、タイトルから明菜路線とわかるとおりだ。
作詞曲は、森雪之丞・西木英二コンビ。
ちなみに森は明菜の2thアルバム「変奏曲」にて作詞提供を行っている。

歌詞は「あと2時間 あと3分 そのまま夜明け」、「熱い火のようなキス 頬に 肩に 押しつけられて」と、いかにも…な世界観。
というか、『少女のなかの悪魔』ではぼかして描かれていたが、こちらは男女の一線を越えているような…。

【初期中森明菜の世界を歌う】と書いたが、どちらかというと久美さんの事務所の大先輩である山口百恵に近いように見える。
事務所としては、久美さんに正式な百恵フォロワーとして、青い性路線を歌ってもらいたかったのかもしれない。

久美さん側としては、「田中久美なら聖子も明菜もイケる!」と、表現力の広さを見せようとした。
しかし、その構想には“イメチェンの繰り返しすぎ”というマイナス面があり、この頃になると見ているほうからすると「どこへ行ってしまうのだろう?」と不安を感じさせる。
そして何より久美さん本人が、それを一番理解し戸惑っているように見えた。
この1年で自分へのイメージが、変わる代わるついてしまったこと。それはまだ高校生、17歳の少女にとって混乱する出来事だっただろう。

田中久美の音楽性とその後──


聖子の世界観も明菜の世界観も歌えた久美さんだったが、レコードセールスは伸び悩み、デビューから1年が経過した頃には事務所からバラエティへの転向を進められた。

しかし、久美さんはそれを頑なに固辞した。久美さんは「ガールズバンドがやりたかった」のだ。
このことを知って私は驚いた。
80年代後半になって、菊池桃子や本田美奈子がやっていたバンド活動を、久美さんはこの頃からやりたい!と言っていたのだ。
久美さんには、音楽への嗜好の高さだけでなく、先見の明まであったのだ。
そのような部分もアイドルとしての表現力に深く結びついていたように思う。
元々ピアノを弾くのが趣味で、軽音もやっていたという久美さん。久美さんは自分のことを一番わかっていたのだろう、音楽なしの田中久美なんてありえないと。

その結果、事務所の意向と折り合いがつかず、わずか1年で音楽活動を停止してしまった。
私としてはバンドで歌っている久美さんも見てみたかったなあ…と思う。

その後、1年間は高校に通いながら、CM等に出演した。
実はこの頃、出演した農協共済のcmにて、未発売と思われる曲を歌っているのを私は動画サイトで確認している。
該当の動画は消されてしまったのだが、確か英語詞の歌詞でゆったりめのバラードだったと記憶している。
音楽活動はしなかったにせよ、新しい曲撮りはしたのかな?もし、そうだとすると、ファンとしてよかったなあとほっとする。
高校を卒業後は芸能界を引退し、故郷に帰られた。現在も、故郷のイベントなどで大好きな歌を歌っていらっしゃるのは知っての通りだ。

総評

聖子と明菜の世界観を歌えるアイドル──
端的にそう書いたが、そこには田中久美の音楽的表現力の幅の広さがあることが理解できた。
活躍したのは、たったの1年だったが、そこには田中久美というアイドルの魅力と歩んだ軌跡がギュッとつまっていると思う。

長文になってしまったが、ここまで読んでくださった方に感謝して、私のアイドル田中久美の考察を終わりにしたい。

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