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ニュルンベルク裁判の被告人は最終弁論で何を語ったか?


ヘルマン・ヴィルヘルム・ゲーリング

「第三帝国のナンバー2」と言われたゲーリングは、検察と徹底的に対決する方針を選んだ。反対尋問に不慣れだった米国主席検事を激しく追い詰める場面もあったものの、その攻勢も長くは続かなかった。

「検察当局は最終弁論で、弁護側とその証拠をまったく価値のないものとして扱いました。被告人が宣誓のもとに行った説明は、検察側に役立つ場合には絶対的に真実であるとして受け入れられ、検察側に反駁するものであれば、偽証であるとされたのです。これは非常に原始的なことです。」


ルドルフ・ヘス

ナチ党の副総統だったヘスは、精神病を宣告され、裁判から除外される予定であったが、本人の意思により最後まで参加することになった。裁判では奇行が目立ち、最終弁論も長くまとまりのないものであった。

「ドイツ人として、国家社会主義者として、総統の忠実な信奉者として、国民に対する義務をまっとうしたことを知ることができて幸せです。後悔はしていません。もし最初からやり直せるとしても、私はもう一度同じように行動するでしょう。」


ヨアヒム・フォン・リッベントロップ

第三帝国の元外相だったリッベントロップは、精神が安定せずちぐはぐな言動をくりかえした。勾留された当初には自身の命を差し出すことで他の被告人の免責に寄与したいと訴えたこともあったが、最終的には自身の責任を否定した。

「この法廷に対して罪を感じるところはありませんが、国民に対して罪悪感を覚えていることが一つあります。それは、私の外交的意図が成功しないままであったということです。」


ヴィルヘルム・カイテル

陸軍元帥にして国防軍最高司令部長官だったカイテルは「召使」と例えられるほどの禁欲主義と従順さからヒトラーの下す命令に従い続けた。裁判では後悔を見せ、部分的に責任を認めた。

「私は信じました。そして過ちを犯しました。妨げられねばならなかったものを妨げることができませんでした。これは私の罪です。」


エルンスト・カルテンブルナー

ナチス親衛隊の国家保安部長官だったカルテンブルナーは、自殺した上官(ヒムラー)の「身代わり」として罪を着せられたのだと訴え続けた。

「検察は、強制収容所、ユダヤ人の絶滅計画、アインザッツグルッペンなどの責任を私に押し付けています。これらすべては証拠の示す結果とも、真実とも一致しません。」


あとがき

数年前からニュルンベルク裁判についてあれこれ調べています。裁判記録を自力で和訳して読んでいるのですが、こういう情報をどこかにまとめておくのもいいかと思ってこの記事を書いてみました。この記事では、被告人席の右前方から順番に(つまり実際にこれらの最終弁論を読み上げた順番通りに)まずは5人の被告人をピックアップしてみました(時間があるときに追加する予定です)。実際の最終弁論は、ここで和訳したものよりずっと長く、ヘスに至っては20分以上にわたって話し続け、裁判長から警告を受けるほどでした。ここでは印象的なポイントに限って抜粋する形で紹介しています。私自身、プロの歴史学者でもなんでもありませんから、厳密さ、正確さにこだわる場合はあまり参考になさらないようお願いします。


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