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忘れられない最後のレッスン

今年は、多くのインストラクターに最後のレッスンと言うのが訪れてるのではないでしょうか?
私も数本のレッスンにサヨナラを告げました。


私がインストラクターになってそろそろ25年になります。
25年の間には多くの出会いや別れもあり、そのつど寂しい思いを何度も繰り返して来ました。
ただ、その中で一番忘れられないクラスがあり、忘れられない人との別れがありました。


私が初めてレギュラーレッスンを持たせてくれたクラブは「ガーデンクラブ」と言うクラブで北新地の近くにありました。
今は経営者も変わり別のクラブになっていますが、
そのクラブで私はスタジオデビューさせて頂きました。

今考えたら「良く取ってくれたな。。。」とさえ思える未熟なレッスンだったと思います。
でも、そのクラブは私を見守ってくれていたんだと思います。

私がスタジオデビューして、そろそろ1年と言う時、
『阪神大震災』がやって来ました。
クラブに被害はなく私のレッスンは毎週続ける事が出来ました。

日曜日の午後のレッスン。。。
色々な方がクラブを訪れます。
その中には「運動」を目的ではない方も多かったんです。
震災の被害は大きく、大きな被害を受けた方は水道すら復旧せずお風呂も入れなかった人が多かったと聞きます。
クラブに訪れる方の中にはお風呂に入る事が目的で来られていた方も多かったようです。

 
その中にある家族(母と娘)の方がいました。
その方達も「運動」が目的ではなく「お風呂」に入りに来る事が目的だったと後に伺いました。

更衣室に向かうまでの道の横にスタジオはありました。
お風呂に来る事だけが目的だった二人には、私が楽しくレッスンをしてるのを見て凄く眩しく感じたそうです。

そこで、ある日、意を決して私のクラスに入って下さったんです。
当時、まだまだレッスンが下手な私でしたが、
とにかく必死に毎回レッスンをしていました。

「出来る必要はない!
とにかく楽しんで貰おう!
とにかく笑顔になって貰おう!」

それだけで必死でした。
その想いが通じたのか、その家族はそれから毎週来てくれるようになったんです♪

特にお母様の方は本当に喜んで下さったようで、
娘さんがみんなの前でばらしたのが(^^)

「お母さんね!
肥塚さんのレッスンがある日はカレンダーに〇をつけて楽しみにしてるんですよ♪」


その日が来たのは突然でした。


クラブが閉鎖する事になったんです。
そのレッスンは私を含め、みんながファミリーのようになっていただけに衝撃は相当でした。
クラブとしては残ると言う事でしたが、経営陣が変わるのでスタッフもそう替わりする事になったんです。

最後のレッスン。
私は自分の出来る事を精一杯する事にしました。

レッスンの最後では、
SMAPのヒット曲「ライオンハート」の曲に合わせて踊りました。
当時未熟ながらも、少しでも成長した姿を見せたくて必死でレッスンをしました。。。

最後の挨拶では涙が止まりませんでした。
ただ「ありがとう」の気持ちを伝えたくて必死で涙を押さえながら話したのを覚えています。

最後の記念写真を撮る時だったと思います。
あの親子の娘さんだけは来てくれませんでした。

お母さんに後で聞くと、
お風呂でずっと泣いて下さっていたそうです。
 

あれから何度も出会いや別れがありました。
さすがに涙を見せたのはそのレッスンの時だけでしたが、
「下手でも、参加者の心に残るレッスンを普段から心掛けよう。」
と言う思いになったのは、その親子がいてくれたからかも知れません。

今月で終わりを告げるレッスン。
いつものようにハイタッチや握手も出来ないけど。
最後まで自分の想いを込めたレッスンを心掛けたいと思います。

 
また・・・
あの親子にまた会いたいな。

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