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親父が恋してた頃、〜どんだけ昔!?

映画/山中貞雄と原節子

昔オレが鯉だった頃、
弟はドジョウ釣りしてた。
親父は道場破りで、
お袋は小町娘を気取ってた、、、
わっかるかな〜、、、ワッカンネェだろぉなぁ〜。

明日9月17日は昔ある若い才能が失われた日です。
1938年、中国大陸の戦地で病死しされた山中貞雄。当時、天才と目された映画監督でした。出征前の5年間で20以上の時代劇映画を撮りましたが、フィルム全巻が残されているのは3作品だけです。その中で、映画誌のオールタイム・ベストの上位に常にランクされるのが、

人情紙風船
1937/PCL−東宝
(web)

 封切り上映の日に、山中に召集令状が届いたというエピソードがあります。これが遺作になったらチトさびしい、と記したとか。情熱をかけて映画作りに生きてきた未来ある若者として、素直なやりきれなさであったろうと思います。、、、今であれば、MLBの大谷翔平や将棋の藤井聡太が、突然失われるようなものですから。

江戸の裏長屋に住む貧しい浪人や与太者をメインに、庶民の人情・冷淡、善良・小悪、不屈・絶望を描くストーリーは、当時の戦争拡大と経済の逼迫、失業者や貧困等の社会状況を反映しているように見えます。パンデミック後の混沌とした現世界に相似しているのではないでしょうか。

丹下左膳余話 百萬両の壺
1935/日活京都
(web)

一つの壺をめぐって、欲得に右往左往する人間達を、けさ斬りにして笑わせる、コメディ仕立ての時代劇で、山中貞雄のオールラウンドな才能が発揮されたエンターテイメント作品。

河内山宗俊
1936/太秦発声−日活
(web)

この作品には紙風船や壺など暗示的なモノは出てこない。”人情紙風船” をおおう悲哀感はまだなく ”丹下左膳” でのユーモア感覚を保ちつつ、キャラある人物たちが絶妙に絡み合う。情味あるストーリーが、アクションを混じえてテンポ良く展開し、ラストシーンではまだ消えぬ希望を感じさせる。、、、映画ちゅうもんの多様な要素を満喫できるやな。その大きなファクターの一つが俳優さんですね。主要な役のひとり原節子は43歳(最後の映画出演は前年)で女優の仕事から身を引き、今年が60年目にあたります。

露店の甘酒売りで生計を立てる
弟思いのお浪
(web)

何はともあれ、映画界入りして間もない15歳の原節子が初々しい感!。前年に家庭の経済的困窮から女学校を中退して映画界へ。女学校へ進んだ娘は在学中に婚約して、卒業後に結婚するのが一般的だったようですが、家計を支えるために途中で働きに出る場合も多々ある。外見が良ければ、花柳界等、より収入が高い業界へリクルートされることもあったようです。映画や劇場(ダンサー)もそうですな (日本映画初期の女優には元芸妓も少なくない)。映画も世の正業ではなく、水商売のように見られていた。しかも覚悟を持ってそこに入れたとしても、誰もが売れる保証はない。花街のお座敷とは違って、沢山の人々から見られる看板女優になる人には華があることが不可欠。そこはいやはや何とも原節子。華だらけですな。
我っちが原節子の最高作と感じているのは、

麦秋/小津安二郎監督
1951/松竹
(web)
高価なケーキを勢いで買ってしまった
お茶目な面をみせる紀子
(web)

 監督に恵まれ、作品に恵まれ成長し、やがてオーラをまとう。いやはやなんとも女優の、永遠の美のイメージを残してくれる映画って、やっぱり素晴らしいですね。
それではまたお会いしましょう。サイナラさいなら。

 Forever Beauty in the Films
(web)


(旧ラインブログより加筆訂正し再掲)

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