見出し画像

野口英世の家族

会津大学でカナエちゃんと一緒に講義をして、翌日は野口英世青春館と記念館をはしごしました。

旅行前に、『野口英世』を紹介する絵本とその英語版を作って、野口英世記念館にメール添付で送っておきました。

青春館は野口英世が住み込みしてた医院が喫茶店になっていて、二階の野口英世が勉強してた部屋を見学できます。200円です。

記念館は野口英世の実家が保存されていて、やや大きめの資料館になっています。
私が作った絵本が、寄贈された資料としてパンフレットに載っていました。
最近、海外から見学に来る人が増えて、英語版はとても重宝しているんだそうです。

記念館の展示は野口英世の母シカさんの手紙などシカさん関連のものが多いです。
野口英世のお母さんの手紙は有名ですね。
シカさんは寺子屋などには行けなかったけれども、近所の人にいろはにほへとを紙に書いてもらって、カナだけは練習していたんだそうです。

野口英世が渡米した15年後に、シカさんは、
「かえってきてくだされ」
という手紙を出していて、友達が旅費やスーツ代などを出してくれて、野口英世の帰国が実現しました。
野口英世もずっと気にはかけてて、頻繫に自分の写真を送っていたから、野口英世の写真はたくさん残っています。

伝記にも、野口英世のカラー写真が載っていて、最初にカラー写真に写った日本人は野口英世と書いてありました。
日本とアメリカでは、毎年、年末に里帰りというわけにもいかなかったでしょうし。
遠すぎるのと、野口英世夫婦の浪費癖で。
夫婦ともに貯金はできなかったようです。
アメリカ女性にはありがちとも聞きますが。

野口英世を紹介している本に
「お金にルーズな私がお札に?」
というセリフがあって笑ってしまいました。

野口英世の妻メリーさんはアイルランド系の女性で、差別されている同士というのも気が合った原因の一つかもしれません。
今もアメリカでは、白人至上主義は強いと聞きますし。

面白いのが野口夫婦の馴れ初めで、
独身の男女4人の友人たちで集まって遊んでいた時に、結婚しちゃおうという話になって、その場で近くの教会に行って結婚したんだそうです。
2人とも30才を過ぎていたので、ここを逃したらもう結婚できないと思ったのかもしれません。
当時としては、初婚が30才を過ぎてというのはかなり遅いと思います。
30才を過ぎている分、メリーさんはあまり細かいことを気にしない人だったようです。

野口英世はアフリカで黄熱病で亡くなった後、棺を開けないという条件でアメリカに運ばれて、国葬されました。メリーさんはそれまで、夫が著名人だと知らず、大変驚いたそうです。
身近な人の偉大さというのは分かりにくいものだと言うけれど。
メリーさんは新聞などは読まない人だったのかもしれません。
夫婦仲は良かったようで、野口英世が黄熱病で亡くなる前に
「もうすぐ帰れるよ」
と妻に電報を送っているのが切ないですね。


#わたしの旅行記

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?