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【短編小説】異常皆無の桃源郷   

       ディスプレイ

 空には白色の太陽がまばゆく輝き、大地を暑くしていた。ヒコタは大型のディスプレイから目を離し、ぼんやりと窓の外に広がる緑の林を眺めた。風に吹かれて、木の葉が揺れて、あたかも太陽の熱を振り払っているかのように見えた。

 目の前の大型ディスプレイに目を戻したヒコタはちょっと見ただけで、背後の列に座っているエレヌに声をかけた。

「今日も何事もなく終わりそうだ。エレヌのほうはどうですか」

「私のほうも何もない。平穏無事です」

 エレヌが自分のディスプレイから目を離し振り返り、ヒコタを見てほほ笑んだ。

 ヒコタの画面には、農夫がたわわに実った果物を収穫している様子が映っていた。とても柔和な顔で、満ち足りた表情が印象的だった。エレヌの画面には、川に浮かんだ小舟の上から投網で魚を獲る様子が映っていた。網の投げ方は優雅で、とても躍動感に満ちていた。

 ここでは、調査センターとして、外に三十三台のディスプレイがあり、それぞれに人が張り付き、世界の動きを逐次看取していた。毎日が何事も起こらない退屈な業務が続いていった。世界が七地域に分けられ、一地域五台のディスプレイで調査衛星と地上の調査カメラから送られてくる映像を眺め分析して、事変に即時の対応をしているのだ。

 日勤が終わり、夜勤の人に業務を引き継ぐ時間となった。

「二の二号機、異常ありません」

「了解しました」

 ヒコタは引き継ぎが終わり、エレヌをカフェに誘った。

「エレヌ、お茶飲んでいかない」

「いいわよ。ココンチャに行こうよ」

 エレヌがお気に入りの店の名を言った。

「いいよ。それではお先します」

 二人は同僚たちに挨拶し、手を取り合って出口に向かった。

 調査センターの近くのカフェ、ココンチャに入り、ヒコタとエレヌはコーヒーとケーキをオーダーし、顔を見合わせ、おしゃべりをした。明るい音楽が店内に広がり、耳に心地よい。

「世界には何も起こらない。そのうち調査センターがなくなって、仕事を失うんじゃない。今から転職を考えなくては」

 エレヌが、毎日の平安にかえって不安を覚え、冗談ともつかぬ戯言を口に出した。

「それでは、僕と結婚すればいい。失職手当はもらえるし、結婚手当はもらえるし、十年は暮らしていけるよ」

「結婚はだめね。まだ遊んでいたいし、当分先だわ」

 ヒコタが、本心なのに冗談めかしてからかうと、エレヌはしかめ面をして、言下に断った。

「それじゃ。おばあちゃんになってしまう」

「えっ。おばあちゃん?そりゃ大変。考えておくわ」

 エレヌは、ヒコタの言葉に一瞬ひるみ、ヒコタを見返してくすくすと笑った。

 その時、同僚のダニエルが店に入ってきて、二人を見つけ、ヒコタの横に座った。

「おやおや。二人は仲がいいね。うらやましいよ」

 ダニエルは、開口一番軽口をたたき二人をひやかした。

 ヒコタとエレヌが照れ笑いを浮かべていると、それに構わずダニエルは話の本題に入った。

「実はね。エレヌ担当の五の三号機の画面に不穏な動きが映っていると、モニター班の連中が密かに調べに入ったとの噂があるんだ。手柄を取られてもしゃくだから注意して看てたらいいよ。それを告げに来たんだ」

 ダニエルはそういうと、そそくさと立ち上がり、別の席に移っていった。

       家族のだんらん

 ヒコタはエレヌと別れ家に帰った。家に着くまで、ヒコタは、エレヌの三号機の話とはいえ、ダニエルの不穏な動きという言葉に、その意味する具体的な事象を思い描けず、心痛の状態に落ち込んでいた。何とも言えない暗い顔で夕食のテーブルに着いた。

「なんか悩み事でもあるの?ヒコタ」

 母のキエコが息子の顔を覗き込んだ。

「お兄さん。ブルドックみたいな顔してる」

 弟のカエザが兄の顔を見て、おどけた表情をした。

「どうした?ヒコタ」

 父のコンサがビールを口に運びながら、訊いた。

「うん。僕、結婚してもいいかな?」

「結婚?いい人いるの?」

 キエコの声が詰問調を帯びた。

「うん。エレヌさんだけど」

「ああ。いつか家に来た人だね。いいじゃない、反対はしないよ。それでいつを考えてるの?」

 コンサが頷いてヒコタの顔を見た。

「いつになるか、まだ決まっていない」

 浮かぬ顔で、ヒコタが天井を仰いだ。

「お兄ちゃん、振られたんじゃないの」

 弟のカエザがませた顔をして、ヒコタをつついた。

 それを聞いて、ヒコタは俄かに合点した。落ち込みの原因はそのことだった。けれども、それは、終わったわけではない、望みはあるし、これからだと思いなおし、気分がいくらか晴れやかになった。

「お父さん、ちょっと聞くけど、今の仕事の前に調査センターにいた訳だし、画面に映る不穏な動きって、具体的にはどんなことを言うんですか」

 ヒコタがまじめな顔をして、ずっと胸に渦巻いていた疑問を口に出した。

「何、不穏な動き?そりゃ、お前」

 コンサは突然、虚を突かれきょとんとしてヒコタを見た。

「それは、平常と異なる事態だよ。具体的というと。お父さんが勤めてた間にそんなことは一度もなかったから分からない」

 コンサに分からないといわれ、ヒコタは、黙り込んで食べ物を口に放り込み、かみしめた。 

「あっ。そうそう。勤めて間もなくのころ、確か暴動という言葉に惑わされたことがあったね」

 コンサが突然思い出した風情で、記憶を探るように仰向いた。

「暴動って何?」

 ヒコタが面白い話を聞けるかと、目を輝かせた。

「暴動って、皆が集まってワイワイやることだろう。具体的な事例というと分からない。実はね。お父さんのディスプレイに、サッカー試合で、フアンが興奮してフィールドになだれ込み殴り合いをしているのが映ったんだ。それ暴動だと上司に報告したら、『何を言ってるの。これはフアンが審判の判定が不服で騒いでるだけなんだ』と散々怒られたことがあった」

 一気に話し終え、コンサが

「アハハ」と笑った。

 それにつられてキエコとカエザが笑った。

「なんだ。お父さんの失敗談じゃないの」

 ヒコタは、かえって分からなくなり、がっかりしてスープを飲み込んだ。

       不穏な動き

 ヒコタは出勤し、朝からずっとディスプレイの画面を見続けていた。自分の担当地域ではないが、昨日から不穏な動きとの言葉が頭を離れず、鬱々と落ち込んだ気持ちが抜けなかった。時々背後のエレヌのほうが気になり、気配を窺う自分の心を持て余していた。

「何よ、これ?」

 突然、小さな声で狼狽したようにつぶやくエレヌの声が聞こえてきた。それを聞きとめたヒコタサがすぐに自席を立ち、エレヌの背後から彼女のディスプレイを覗き込んだ。するとそれに気づき、周りの同僚が集まり、同じように画面を凝視した。画面には、多数の男たちが二手に分かれ、棒状の物を持って、にらみ合っていた。時々、地面を指さし、喚きあいをしていた。

「うっ。これが不審な動きか」

 人をどけて、前に顔を出したダニエルが判じた。画面には、棒を振り上げた男の姿が映り、途端に大口を開けて叫ぶ男の顔に変わった。

「暴動かな」

 ヒコタの口から夕べ父から聞いた言葉が飛び出した。

「暴動。暴動。暴動」

 ヒコタに共振し、その言葉が皆の口から口へ伝播した。

「エレヌ。統括部へのシェアのボタンを押したらいい」

 ダニエルが助言し、即座にエレヌが赤色のボタンを指で押した。瞬時に警報が鳴り、すべてのディスプレイがエレヌの画面と同じになった。画面では、相変わらず、屈強な男たちが棒状の物を持ち。地面をつついたり、棒を振り上げたり、叫んだりしているのが続いていた。

 その時室内に警報が鳴り響き、大きな男の声がスピーカーから流れ出た。

「第五地域南部平原に暴動発生。暴動発生。直ちに阻止せよ。阻止せよ」

 ディスプレイの画面では、変わることなく男たちの対峙が止まなかった。

「本当に暴動なのかしら」

 エレヌが画面を見続けながら、そっとつぶやいた。ヒコタはその声を聞きながら、何とも言えず、黙りこむだけだった。

 その時、ディスプレイの画面は、暴動現場の上空に上がってゆき、やがて、空一面に閃光が走った。それからゆっくりと画面が下がり、地上には、累々と横たわる男たちの姿が映し出された。

「ややー。死んだのか」

「いや。死んではいない。皆が催眠ビームにやられ眠ったのさ」

 ディスプレイ調査班の面々から、それぞれの意見が漏れ、皆に拡散した。

 第五地域南部平原の住民による行政府を相手取っての裁判が開廷した。訴状の内容は、訳もなしに催眠ビームを浴びせられたことへの謝罪と慰謝料の要求だった。この訴訟については、行政府もある程度の非を認め、訴訟前には、住民側に詫びを入れたのだが、不十分との怒りが収まらない住民強硬派の意見が通り、裁判での争いとなった。裁判となれば勝つ必要がある。行政府は選りすぐりの弁護人を雇い入れ、事に臨んだ。

 訴訟の手続きが進み、裁判は双方尋問の段階となっていた。

「住民たちが土地の境界について話会っている現場をその時、行政府職員は直に視認していますか」

 住民側の弁護人が行政府に質問した。

「しかるべき方法で確認しています」

 行政府担当者が答えた。

「現地で視認はしてないということですか」

「しかるべき方法できちんと視認しています」

「しかるべき方法とは何ですか」

「秘密保持の決まりがあり言えないが、視認しています」

 秘密保持の法律を盾に、行政は方法については明言しなった。

「それでは答えになりません。視認してないということですね」

 住民の弁護人が独断した。

「弁護人。事実に基づかない推論はやめるように」

 その時、裁判長が注意した。

「はい。それでは、質問を変えましょう。行政府が今回の住民たちの平穏な話し合いを暴動と断じた根拠は何ですか」

 住民側弁護人の核心に触れる質問が行政府に放たれた。

「それは、住民たちがてんでに棒状の得物を持っていたからです」

「あれがなぜ得物なのですか。単なる作物の高さをはかるスケールですよ」

 弁護人の質問が熱を帯びて、行政府の人たちを眺めまわした。

「あの場で徒党を組み、声を張り上げ、棒状のものを振り回し、荒れ狂っていたからです」

「誰も荒れ狂ってはいない。夢中になり、動かしただけと住民は言ってますよ。以上で尋問を終わります」

 そう締めくくって住民側の弁護人が席に座った。

 次に行政府の弁護人が立ち上がり、住民代表への尋問を始めた。

「単に、土地の境界の話し合いで、あんなに人が集まるのはなぜですか」

「それは、人数が多いほうが相手への圧力が強くなるからだよ」

 弁護人の巧妙な質問に住民から危ない答えが飛び出した。

「圧力とはどんなものですか。例えば棒を振るのも入るのでしょうか」

「そりゃ。圧力にはなるでしょうね」

「それでてんでに振り回していたのですか」

 その時、裁判長の注意が入った。 

「弁護人。誘導尋問はやめるように」

「裁判長。これは大事なことです。角度を変えて質問をします」

「許可します」

 弁護人は、慎重に言葉を選びながら質問を続行した。

「ほとんどの参加者が棒状の得物を持っていたのはなぜですか」

「それは、俺らの仕事の道具だからだよ。わざわざ持ってきたのではないのさ」

 裁判長の一声で潮の流れが変わってしまった。

「それでも振り回したのは、場合によればとの気持ちがあったからじゃないですか」

「身を守るためには、そんな気持ちは無きにしもあらずと思うよ。だけどあの時はそんなことは起きなかった。何事もなく話がついたよ」

 これ以上の的確な回答があるのだろうか。それを聞いて弁護人の尋問は終わった。

 数日後に行政裁判所の裁定が下った。その内容は、住民側の全面勝訴で、行政府は住民に謝罪し、慰謝料として一人当たり千ユリロを支払うべしとの内容だった。

 内部的には、ディスプレイ担当のエレヌが訓戒、その外の関連者は全員が口頭注意となった。

「千ユリロって、カフェのコーヒーとケーキの五人分ぐらいじゃない。それぐらいで済んでよかったわ。それにしてもこの地じゃ、暴動って言葉、もう博物館入りね。誰も知っていない。戦争も侵略も反乱も捕虜も人質も爆撃も空襲もみんなお蔵入りだわ」

 エレヌが処分のショックを内に秘めて、自嘲的に感想を述べた。

「そうだね。僕もね、暴動と言っちゃったし、ダニエルもボタン押しの提案で、それぞれ訓戒物と思うけど、エレヌだけになってしまって申し訳ない。エレヌが言った通り誰も知らなかったんだから。驚いたなあ。誰も知らないものなのにエレヌだけの責任じゃないよ。たまたま担当席だから割を食ったってことだね。だから元気出して。今日はコーヒーおごるから」

 その言葉にようやくエレヌは気を取り直し、笑顔を見せてヒコタに頷いた。   

       歴史の授業

 弟のカエザが大学の教室で歴史学の講義を受けていた。ミノエ教授が専門の世界全体の歴史だった。といっても、ミノエ教授は、教室の前面の右隅の教卓に座ってるだけで、講義そのものは、おおきなスクリーンに映し出された映像が勝手にうつり変わり、説明の声とともに受講生の目に投射されていた。

 その内容は要約すると次のようなものだった。 

(惑星ケンタルに住む人類の歴史を述べよう。この惑星は、二千年来、前半のわずかな期間を除けば一つの国家が統治して、分割はなかった。人類の発生は、諸説があるが、本流は地中からの出現説だ。この惑星のそれ以前の人類史は存在しない。それ以前は、すべてが空白だ。どこを掘っても溶解したような地層があるだけで、その外は何らの痕跡も見当たらない。ある学者は、先人類の最終戦争ですべてが消えたと推測するが、確たる証跡は見当たらない。我々人類は、この赤茶けた大地の不毛の惑星を、艱難辛苦の末、今のような豊かな実りある大地に作り上げてきた。その二千年の歩みが歴史だとの認識で、共通のアイデンティティとして統一を保っている。当初は、国ごとの戦争もあったが、やがて世界国家としてすべてが統一されたと古文書には記されている。この世界単一国家は、崇高な国家の理念となって、誰も犯すことなく永遠に続くことになるものだ。)

「以上で講義を終わる。質問はあるかな」

 ミノエ教授が椅子から立ち上がって受講生を見回した。

「ハイ」と手を上げ、カエザが質問した。

「教授。私たちの歴史は、私たちに何を伝えようとしているのですか」

「うむ。それはだね、世界の歴史を皆が正しく理解し、社会に出てから世の中に役立てるためですよ」

 教授がとても通弊的な回答をし、その場をしのごうとした。

「先ごろ、調査センターにおける暴動誤認事件がありました。歴史の経緯から見ても、今は平穏そのものです。危機に対する人々の意識が弛緩していると思います。本当の危機に対応するための方策を歴史から学べないでしょうか」

「その問題は、学問の分野が違う。その場で議論したまえ。今日の講義はこれで終了する」

 ミノエ教授は、苦虫を噛み潰したような顔をし、憤然と教室から出ていった。

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