自分の細胞から愛する

自分で命を宇宙に還す方もいます。
そんな人たちにたくさん出会いました。
それも出逢い。
ひとつの春だと。
青い春だと。
そっと純粋な子どもの瞳のような水晶の
スノードームに春の雪を詰め込んで
大事に心にしまいたい。
命を還すこともだし、性を傷つけたり皮膚を傷つけたり。
そうやって生かされている体を傷つけること。
きっとそういう人たちは生きていても
記憶は過去未来現在自由に同時に行き来きできるように
なにかの細胞として、
時には地球温暖化の中の淀んだ海の水として
体をイチから学んでいたり
大切な一部だという存在自体を学んでいたり
そういった世界を見ることはできないけど
あるかもしれない。
自分は善だと思ってても完全じゃないし
きっと悪い心がある。
悪いことをした人やその行いをした氷山の下の葛藤を理解できない心も一つの自分の悪い心だとも思います。
そう、汚いものを毛嫌いする心も同じです。
だから大河の一滴になってちっぽけな存在を学んでいたり
体を傷つけたなら生命の細胞になって体の奇跡的な日常を学んでるかもしれない。
そんな想像をしました。
伝えたいことはそれらが体の中にあったり、
ゴミをぽいっとする大河の一滴が、
私"以外"のものではなく
同時に"わたしの一部"として"生きている"のかもしれないということです。
それが確証される必要は要らないです。
そういった心の眼が大切だと思ったのです。
そう思うと、
野菜をとろう、
高くてもいちごを食べようかな?
軽い運動でもしよう、
敬意として歯磨きをしよう、
好きな香りの歯磨き粉で愉しんでみようかな?
ちゃんと寝る前にお風呂に入ること、
顔の体操も忘れないでいよう
資源ごみと燃えるゴミは分けよう、
など。
わたしのために、小さなこと。
それじたいが、
地球のために、大きなこと。
そういったエネルギーが存在すると思うんです。
だから自分を大切にすることが何より大切。
他者やそれ以外を守るために必要な力は
私を愛すること。
その意味にも繋がると思ってます。
命を終えた風が自転によって世界をめぐり
運ばれて共有してます。
それがこの場所にも何かしらに変わって
循環していること、流れていることを
大切にする。

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