見出し画像

記憶の欠片①

黒板書きの仕事を知っていますか?

皆様、こんにちは。
唐突に話はじめましたが、最近やたらと株価の事が話題になっています。

(パソコンから借りました)

特に株価が40000円を越えた時には、どのニュース番組でも取りあげていました。それを見ていて、ふと記憶がよみがえりました。
時代は、沖縄が日本に返還・札幌冬季オリンピック・パンダ初来日
吉田拓郎の「結婚しようよ」「旅の宿」がヒットしていた時代です。
その頃の株価は4000~5000円前後を行き来していたと思います。
時給はたしか300円位だったと記憶しています。
そんな時期にアルバイトをしていたのが証券会社での黒板書きです。
現在ではデジタルで株価を表示しているようですが、その頃は人の手で大きな黒板に、株価をチョ-クで書いていたのです。
株銘柄を書き、その下に時系列に株価が書けるようになっていて、短波ラジオから流れてくる株価をひたすら書いていく仕事です。
最初の頃は、どこにどんな銘柄があるかの場所も判らずに、右往左往してましたが、慣れとは恐ろしいもので、3ヶ月もすると放送を聞きながら身体がその銘柄に行き、価格を書いているようになっていました。
踏み台を二・三段上った場所に黒板があり、その前にソファーが並び、店に来た投資家が座り、煙草をふかしながらその場で社員に取引を依頼していた記憶があります。又、利益がでるとご祝儀として、○○○円貰った記憶があります。(金額は記憶がはっきりしない)
自分はと言うと、その頃開校したばかりの放送専門学校に新宿まで通っていました。夜間の部でしたので帰りは、新宿の横丁で仲間とよく飲みにいったものでした。(これは、記憶が鮮明です。)
二日酔いで壇上に上がり、ふらつきながら作業をしては、よく社員の人に助けられたの思い出しました。
現在は昔と違ってコンピューターが有り、デジタル化で投資家の形も変わってきたのでしょうか?

あの時代に、ニクソンショックが有り内容はよく理解していませんでしたが、株価が下がり女性の投資家の方がポツリと「死人がでるかも。・・パンドラの蓋が開いたのかも」とつぶやいていたのを、今でも鮮明に記憶に残っていました。
イメージを下手ですが書いてみました。(笑わないでね)
本日の記憶はこの辺りで終わります。
又、記憶がよみがえりましたら宜しくお願い致します。

(書いてみました)

投資家のつぶやきからヒントを得て、詩を書いてみました。

【パンドラの箱】

パンドラが持っていた
パンドラの箱

自分が持っているのは
自分の箱

誰もがみんな持っている
貴方も箱を抱えて
生きている

いつ開けたのだろう?
自分の持っていた箱

幼い頃か
覚えていない
もしかして誰かが
開けてしまったか

知らないところで
飛び出したものに
囲まれながら
気づかずに
生きて来たかも

最後に残った
エルピスは
密かに脳裏に
刻まれた

貴方の箱は
いつ開けたのだろう

気づかずにいるのか
それとも
素知らぬ顔して
やり過ごし
心の中で消化して
生きているのか

本当の災厄とは
何か解らない

最後まで
歩いてたどり着いた
そんな終着点で
脳裏に刻まれた
小さなエルピスが
微笑みながら
体を包んで
抱擁してくれる

そんな事を
思いながら
日々を過ごす
今日この頃

拙い詩を最後までお読み頂き
ありがとうございます。😀










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?