知らない恋のはじめ方③

眠気を覚まそうとマグカップにコーヒーを注ぐ。
事務所の暖房が効きすぎてなんだか頭がボーッとする。出入り口付近のホワイトボードを見上げる。あいつは直行で客先訪問、17時帰社予定との事。もうすぐ17時。
なんか、ソワソワする……。

昨日、別れたあと真希ちゃんと一緒だったんだよな。そう考えるとなんだかモヤモヤする。

想像して気が滅入る。

俺が別れてばっかりであいつはずっと真希ちゃんと楽しく過ごしてる事が気に入らないから?

訳の分からない浮き沈みに疲れた。
ふぅっとため息を付いて顔を挙げると長身の男が入ってきてバチッと目があった。

正人だ!!

無意識に目を逸らしてしまう。
近づいてきて「お疲れ」と声を掛けられた。
なんかニヤニヤしてやがる。
真希ちゃんと楽しい夜を過ごしてたのかよっ。
今度はイライラしてきた。

「なーに、不貞腐れてんだよ。」
不貞腐れ?そんな顔してんの?

イヤイヤ……昨日、俺のワガママに付き合って貰ったってのにそんな顔してちゃ駄目だ!
「別に……昨日はありがとな。」
「ちゃんと寝れたのか?」
「……まぁな。ちょっ、止めろよ。」

正人が俺のほっぺたをツンツンつついてくる。
ちょっ、くすぐったいから止めろよっ。
その手を払い除けようとして手が触れた。

なんか、恥ずかしいぞ。

「今日は何か問題無かったか?」
正人がそう言い終わるのと同時に杵川さんの焦った声が響いてきた。

「大変です!A社に納入した表示ラベルと中身が違うって電話が入って、明日ラインストップしてしまうって言ってきてます~!!」

ら……らいんすとっぷだと?

A社は、間野課長の担当先だ。確か今週いっぱい中国出張で不在のはず……。
「間野さんとは連絡取れたの?」
正人がそう尋ねると
杵川さんが横にブンブン首を振る。

「電話もメールもしてますが全然返事がなくて……。さっきからすごい剣幕でA社から何度も電話掛かってきてるんですけど……どうしましょ?」

どうしましょって、杵川さんアシスタントだから俺らより分かってるんじゃ……。
「物流センターの在庫は合ってるの?ただのラベル間違いなのか、商品が間違ってるのかちゃんと調べて。あとA社の担当の人の名前と連絡先教えて。俺が状況確認するから」
はいっ!と、元気よく返事をしてわちゃわちゃ動き出した。

……調べた結果、間違った商品を間野課長が発注したものに物流センターが気付かずにラベルを貼り付けて納品してしまったらしい。助かった事に流動商品だったので、注文分の半分程は在庫があったのでそれを取りに行って客先へ13時のラインに間に合わせる様に納品しないと莫大な費用請求をされてしまう事になる。

すぐに部長に話をして、俺と正人でハンドキャリーする事になった。

「間野課長と連絡着いたの?」

社用車に乗り込む。
運転は正人がしてくれるとの事。あんまり長距離となると運転苦手だから助かった。
「ついたけど、呑気に『よろしくー』だってさ。ま、中国じゃなーんも出来ねーよな。」

キーを差し込んで回すとエンジンの音が響いた。

「間野課長お気楽過ぎだろ。
もう定時過ぎたってのに、長いぞ~今日は。」
物流センターにまず向かい、約50ケースの商品とラベルを受け取り、その足で客先に行きラベルを貼ってから納めるという作業をしなければ、客先は受け取れない。そういう契約書を取り交わしている。ほんと、今日何時に帰れて何時に寝れるんだろ……ゾッとする。

車が軽やかに動き出し、地下駐車場から地上に出ると外はもうすっかり暗かった。
「晩飯どうする?どっかで食っとかないと客先行ったらいつ食べれるかわかんねーぞ?」
正人がチラッと時計を見ながらそう言った。
18時を過ぎたばかりでそろそろお腹も空きそうだけど……
「今日中に客先に持っていくなら20時にはライン閉めるっていってたからラベル張り作業の事考えたら19時にはついてなきゃ厳しいと思うんだど……。」

「げっ……ラベル張りの事忘れてたわ。りょーかい。晩飯は後まわしだな……。くそっ」

がくんっとわざとらしく項垂れる正人にぷっと吹いてしまった。

俺なんかこんな状況で余裕ない中、正人は冷静だなーって思う。俺も同じ営業だけど、出来る営業と出来ない営業の違いなんだろうな。
ラインストップの事より飯の心配してる正人を見て少し心が軽くなる。
「なーに笑ってんだよ。」
「なんでもないよ。呑気な正人に呆れただけだっ。」
「誰が呑気なんだよっ」

正人と居ると楽しい。
ふっと心が軽くなる。この空気感がすごく好きだと思う。こうやって2人で車に乗って何処かに出掛けるって珍しくてちょっとワクワクしてきた。
この空間がずっと続いて欲しいと、そんな風に思ってしまう俺も相当呑気だ(笑)

物流センターから商品とラベルを受け取り客先に着いたのは結局19:30を過ぎてからだった。
担当者に2人で平謝りし、なんとか半分の納品でひとまず納得して貰った。残りのデリバリー調整は間野課長に対応して貰おう。
しかし、A社の規則により20時には全員撤収しなければならないらしく、部外者の俺達も当然追い出された。明日朝から来てラインがスタートするまでにラベル張りを完了して欲しいとの要望で、お泊まりコースに急遽変更になってしまった。
部長に電話をして事情を話し、近くのビジネスホテルに泊まることになった。
ホテル近くの定食屋さんで晩御飯を済ませ、部屋飲みしようとコンビニで酒とツマミを買い込んだ。シャワーを浴びてから、正人の部屋に集合。
ちょっと緊張しながらドアをノックしたらすぐに正人が迎えてくれた。
「よっ、お疲れー。」
「おうっ。も、髪乾かしたんだな。」
「龍樹髪濡れたまんまじゃん。風邪引くぞ。」
だって……早く来たかったし……。
セミダブルの部屋は狭く、ベッドに腰掛けながら飲むしか方法は無さそうだ。
正人がしゃがみながら冷蔵庫から飲み物を取りだす。
「なんか冷蔵庫の調整分かんなくてさ。あんまり冷えてないかも。」
はい、と、差し出された缶ビールを受け取る。
正人が腰掛けると軽くベッドが弾んだ。
肩と肩がぶつかって正人の体温が伝わる。
なんか……ソワソワする。
いくら部屋が狭いからってこんな……男同志なのにくっついちゃって正人気持ち悪くないかな?
自然と離れてくれるまでこのままでもいいのかな?俺から離れた方が自然?
そんな俺を知らず、
「乾杯しよーぜ。」と、正人。
「お……おうっ、ひとまず乾杯」
缶ビールで軽く乾杯して口に持っていく。
苦味と炭酸が喉を通る。
「うっま。」
「ハードに動いた後だから染みる~」
「明日もハードに動けるよ(笑)」
「ちょっ、1回忘れさせろよ。」
肩に触れる正人の体温が心地いい。
なんか、酔いがいつもより早く回りそうだ。
「そういえば、昨年も間野課長の後始末やらされてなかったか?龍樹。」
「間野課長、しょっちゅうだよ。昨年どころじゃねーっつの。」
ふーっと正人が息を吐き出す。
「龍樹さ、もっと営業としてガツガツしていいんだぞ。勿体ないよ、お前がクレーム係みたいな仕事してんのは。」
クレーム係って……。
ま、確かにそうだけど……。
「だって俺、正人みたいに機転利かないし、口下手だから客先に気に入られたり無理だし。今のポジション合ってる気がする。」
じーっと俺を真剣な目で見つめてくる。
「真面目過ぎというか、面倒見が良さ過ぎなんだよ。今回のだって、杵川さんにもっと押し付けりゃいいのに、お前がほぼ動いただろ?
俺だったらアシスタントにもっと動いてもらってたよ。」
それは……
「お前と俺とじゃ女性陣の反応が違うっつーの。イケメンと面白味のない顔とじゃ差はあるんだ!」
ふーん……と流し目で見てたと想ったらにゅっと手が伸びてきて鼻をムニッと摘まれた。
「おいっ、痛いっ!」
「いやいや、十分面白味のある顔だと思うけど。」
「くっそ。」
俺も負けずと正人の鼻を掴んでやった。
「ばっか、イケメンが崩れるっ!」
「崩れてしまえっ。」
不意に鳴り響く音楽に俺達の動きが止まった。
俺のじゃなく正人のスマホだ。
相手はきっと……真希ちゃん……。
俺から離れて、ベッド脇に置いてたスマホを正人が手を伸ばす。
急に離れた体温が寂しい。
「もしもし。……うん、えっ?ごめん、気付かなかった。……違う違う。仕事でバタバタしてて……。」
正人から離れて缶ビールをグイッと飲み干す。
そのままの勢いでもう1本空けてグビグビと飲む。さっきまでの楽しい気分がどんどんと黒く染め上げて行くように沈んでいく。
そうだよ、正人がどんなに近くにいても正人の1番近くには俺じゃなくて真希ちゃんなんだ。
俺の中のどす黒い感情がじわじわと滲んで全身を覆っていくようだ。
最低だな、俺。
「明日も……ちょっとわかんない。
うん……また連絡するし……うん……。」
なんか、クラクラしてきた。
こんな酒弱かったっけ?クラクラ?ムカムカ?
正人の『真希』って呼ぶ声が耳障りだ。
聞きたくない……。
膝をかかえて逃げるように耳を塞いだ。
ほんと、いつからこんな風になっちゃったんだろ?女同士の友情でもあるまいし。
女々しすぎて自分が嫌になる。
「何してんの。龍樹くん。」
正人の声が降ってきた。
でも、さっきみたいに楽しく話せる気分じゃない。頭が痛いしムカムカする。
「部屋にもどるわ。」
顔を見ずに立ち上がろうとすると、上手く足が踏ん張れずよろめいてしまった。
「なに、もう酔ってんの?」
支えようと、俺の腕を正人が触れた。
なんか……泣きそう……。
顔を見られたくなくて俯く。
「酔ってねー。」
「あっ、いつの間にかビール2本も空にしてんじゃん。ピッチ上げて飲むから。」
「俺、部屋戻るからゆっくり電話しとけよ。」
正人を押しのけて離れた。
「終わったからもういいって。」
ぐいっと腕を引っ張られる。
自分がどういう表情をしているのか分からない。
ふいに顔を覗き込まれて正人が一瞬止まったと思った瞬間……
「わっ……!?」
強く引っ張られて気付いた時には正人の胸に抱き寄せられていた。
「お前さ……。」
「………………。」
なんで?……。
心臓がドクドクと脈打って血が煮えたぎってるかのように身体が熱い。
なんで……なんでこんな事してんの?
俺の心臓の音バレてしまう。
「俺だって、訳わかんなくてこれでも冷静になって考え纏めてんのに……そんな顔すんなよ。」
正人……正人まで何言ってるんだ?
……どういう事?
尚もぎゅっと強く抱き締められる。
なんか……泣けてくる。
訳わかんないけど、悲しくて切なくてやり切れなくて、辛い感じがする。
それでも心地よくて、正人の体温と皮膚を通して伝わる正人の心音がほっとして、そっと目を閉じて体重を預けた。

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