"適応障害"になりました(前編)

〜私に降りかかる様々な異変〜

告白します。
実は私、花山てまりは3月から適応障害と診断され、現在心療内科クリニックで療養をしています。

今回は私に起こった異変と葛藤、心の状態を皆さんに知ってほしく、記事にさせていただきました。
前編では、適応障害の内容、現在までの心の状態をお伝えします。
後編では、これからのことをお伝えします。

女優という立場から、このことを皆さんにお伝えするかはとても悩みました。
でも、私のこの記事で、少しでも心境を知ってもらえたらいいな、また、同じ適応障害で悩んでいる方の力になれたらいいな、と思い筆をとらせて頂きました。

前編 目次
・10月の異変
・バイト先の変化
・恋人との別れ
・観劇中に離脱する
・セリフが…入らない!
・死にたくなる日々
・実家に戻る
・現在のわたし

10月の異変


 私が「おかしいな」と感じたのは昨年の10月あたりからです。特別体調が悪いわけでもないのに、ベッドから起き上がれなかったのです。また、毎日のように持久走をした後並に心拍数が上がり、動悸が激しくてバイトをお休みすることもありました。寝ているはずなのに、眠くて仕方がなくなったり、毎日のように悪夢にうなされたりするようになりました。悪夢では、夜中に叫んで起きて、泣き出してしまうこともありました。また、現在まで生理が来ていません(近々婦人科に行きます)。

・突然ベッドから起き上がれなくなる
・運動をしていないのに動悸が激しくて苦しい
・眠くて仕方がない
・毎日悪夢にうなされる
・生理がこなくなる


バイト環境の変化


 女優業の仕事をしていないときは、アルバイトをしています。そのバイト先で変化がありました。1つは、店長が変わったこと。そしてもう1つは苦手な人が出来てしまったことです。
 前店長は、私の女優活動を応援してくれる方でシフトを融通していただいてました。働きやすい仕事環境を整えて下さっていたと今でも感謝しています。現店長は、応援はしてくれているのですが、女優業に関してのシフトを融通していただけなくなり、あるときには、バイト→オーディション→バイトと、中抜けする形で働くことがありました。代わりの人を見つけるのも一苦労で、次第に働きづらさを感じるようになりました。
 そして、苦手な人が出来てしまったこと。職場に苦手な人がいるなんて、どこもそうだと言われたらそうなのですが、私はその人と働くととても気持ちが落ち込んでしまったのです。具体的には、人の悪口や職場の不満、接客の態度を人によって変える、など、一緒にいて辛くなってしまいました。次第に、その人と一緒の時間に働きたくない!と、シフトの時間帯を変え、なんとか働いていました。

・バイト先で働きづらさを感じるようになる


恋人との別れ


 私にはつい最近までお付き合いをしていた人がいました。その方は基本的には優しい人なのですが、無自覚で高圧的な態度をとる人で、私に命令口調で話しかけたり、不安定な時にも無神経な発言をするような人でした。
 本人にはそんな自覚はなく、何度話し合っても前進することはありませんでした。
 私は、次第にその人と一緒にいることに違和感を覚えました。
 前述した通りの症状が出ている私に対して、なぜそんなこというの?と思う発言もありました。それがとても悲しかったし、苦しかった。そして悟りました。この人とは一緒にいれないんだ、と。
 たくさんの愛をくれたけど、今の私とあの人では前には進めない。そう思いました。
 ありがとう。ごめんなさい。と真摯にお別れをしました。

・恋人と反りが合わず、精神的に追い詰められてしまった


観劇中に離脱する


 こんなこと、私の観劇人生の中で有り得ない。そう思う出来事が起きました。
 なんと、観劇中に動機が激しくなり、血の気が引き、座っていられないほど身体が痺れたのです。舞台は、もうすぐ後半クライマックス。私は、意地でも観ようと思い、我慢しました。しかし、耐えられず離脱。
 有り得ない。演者の人たちに申し訳なさすぎる。と言う気持ちでいっぱいでした。
 公演終了後、演者の人たちに心配の声をかけて頂きました。
 それでも、動悸は収まりません。
 おかしい、どうしてこんなことになってしまったのか?帰り道は、悲しくて仕方ありませんでした。

・ 初めて観劇中に具合が悪くなる


セリフが…入らない!


 適応障害になってからは、バイトはお休みして、大好きな演劇のお仕事だけ続けていました。しかし…、最近の仕事ではセリフが入らないという事態が起きました。プロとして、あってはならないことです。結果、その仕事では台本を持って演技をして良いとのことで、他の演者も台本を持って演技をしていましたので、事なきを得ました。私は、不安でいっぱいになりました。
 これからも、セリフが入らなかったらどうしよう。役者として、わたしはどうかしてしまったのだろうか。もう、私には、演技はできないのか。ぐるぐると考えました。
 とにかく、この出来事は、私にとって衝撃で恐ろしい出来事だったのです。

・セリフが覚えられなくなる

 

死にたくなる日々


 私は、この状態の私が許せませんでした。なぜこんなことに?と自分を責めて、わざとハードスケジュールにして追い込み、自分をいじめてしまっていました。
 「私なんていなくても世界は回るし、生きている価値がない」「私がこうしているうちに、他の役者さんはどんどん活躍している」「悲しいくて仕方がない。もう、いなくなりたい」「この世界にはもう居たくない」と絶望してしてしまいました。
 絶望の淵まで堕ちると、急に心が楽になりました。死ぬのが怖くなくなるんです。そうなると、笑顔が溢れて、清々しい気持ちになりました。「わたしの人生は今日でおしまい」そう心から思ったのです。

 その度に泣きながらとめてくれたのは、家族でした。いまの私は、家族が生きてと言っているから生きているようなものなのです。

実家に戻る


 精神的に一人暮らしができる状態ではなくなった私は、実家への引っ越しを決めました。父、母は、こんな私をあたたかく迎えてくれました。
 現在は、自宅にいながら2週間に一度、クリニックへ通い、療養をしています。


現在のわたし


 私の適応障害の主な内容は、抑うつ状態、憂うつ感、集中力低下、不眠に加えて、動悸、呼吸苦などの不安症状です。
 
現在は毎日、薬を飲み、最近は少しですが眠れるようになりました。動悸は相変わらずしますが、以前ほどではありません。少しずつ、回復に向かっています。

 ここまで読んで頂きありがとうございます。後編では、これからのこと、具体的には芸能の仕事への向き合い方や生き方についてお話したいと思います。


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