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出来ない自分と向き合うこと

現在、1月31日の23時。妄想紙のテーマとしては不適切な気もするが、今回は私が「文章を書けない」ことをテーマに妄想紙を書くことに決めた。

1月12日に今回の妄想紙のテーマは自由で、文字数の制限は900文字程度だと聞いて、今回は妄想紙を書きやすいのではないかと思った。いつもの300字程の文字数制限では、書きたいことをギュッとまとめて書く必要があったからだ。しかし、今回の妄想紙が実際満足に書くことが出来たかといえば、全くそんなことはなかった。テーマの候補だったのは、今までの妄想紙と同様のツイートに関すること、部活動の先輩から頂いた言葉から将来について考えるようになったこと、最近読んだ本のこと、最近観た舞台のこと、等だった。上がった候補から感じたこと等を書き出して、内容を膨らませようとした。しかし、それほど膨らまなかった。全く膨らまなかった訳ではないけれど、どれも満足できる文章が出来るほどにはならなかった。
原因として考えたのは、ツイートの内容が甘いことと、ひとつひとつの出来事に対する思考が甘いことだ。ツイートの内容が甘いということに関しては、思ったことをそのままツイートしているだけで、思考を広げる要素がないということだ。ツイートしたことに満足して、その質が低い。そもそもツイートしようとして言葉がまとまらず下書きに溜めてしまうことが多いので、ツイート自体が少ないということもある。また、ひとつひとつの出来事に対する思考が甘いというのは、なにか感じた時にそれ以上に深く物事を考えることなく、「考えたつもり」になってしまっていたのではないかということだ。

4月から長岡ゼミで活動してきたにも関わらず、1月になって自分の甘さを痛感するというのは、とても苦しいことだった。しかし同時に、これからゼミで活動していくには、今気づくことが出来て良かったとも感じた。これから越境活動にも取り組んでいきたいと考えているが、その際にもこのように甘いままだったら何にもならない、ただ活動に参加しただけの人になってしまうからだ。今回の妄想紙の執筆を通じて自分の甘さに気付くことが出来たからは、今後はそれと逃げることなく向き合い、ひとつひとつのことをより深く思考し、活動を無駄にすることのないようにしていこう。

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