当事者の苦悩
五体不満足の乙武さんの本を小さい頃読んだ事があった。書籍のタイトルはたしか「五体不満足」だった気がする。当時はそんな人がいるのかと衝撃を受けたものだ。
介護施設に勤めて色んな人を見た
糖尿病で足が黒くなりはじめてたひとや
胃瘻でお腹から栄養をとってる人
喀痰吸引しないと胆石が絡む人
ガンの人まで尊厳を維持しながら看取った
くも膜下出血で後遺症と戦ってる
40代男性もいた
それに比べたら双極性障害なんか
可愛いものだと思う
「生きる」ってなんだろう❔
人間らしい生き方ってなんだろう❔
胃瘻でお腹から管を入れてる人をみて
そんなになってまで生きたいかと思った
そんな光景がわかると世の中怖いのはコロナだけではないとわかる。そう思うと寝たきりの人を一生懸命 介護して介護福祉士をとった自分はすごいと思うが世間が望んでたのはナースコールだということがわかりデイケアにいったら看護師に「介護なんて」と言われて腹がたったので 意地悪な私はしばらく放置して看護に負担かけてやれと思ったこともある。万年人手不足のこの業界に対して思い入れもない。
仕事はとにかく忙しく体力勝負で大変だった
いまは「障害」と「生きづらさ」について
学んでる。こっちの方が性に合ってる。
大卒の方が給料があがるなら大卒を目指す
物事は至ってシンプルだ。
なんだかんだでいま母と携帯のやり取りをしなくなりわかったことがあった。
それは「距離感」
「距離感」が大切だ。
近づきすぎてもいけないし離れすぎても少し寂しい。社会との接点に似ている
仕事はなんだっていいと思う。なんらかの接点があり人と繋がってる実感があればそれでいい
共生型社会になればいい
と社会学を学んでいると想う。
「生きづらさ」を抱えてる自分が学ぶには社会福祉学も精神保健学も心理学も
目から鱗な話がたくさんでてくる
例えば昔は障害者が生まれないように
対処してた時代があったが
いまは精神疾患は4人に1人がなる
メジャーな病気になった
そしてあたしも起き上がることができず
ずっと過眠してた時期があった
そう考えると死にたい気持ちを表に出して
入院してる身内も、この疾患も
じわじわと蝕まれる嫌な感覚も
歳と共に和らぐんだろうか❔と想い
結局自殺対策の勉強や非営利団体について
学んでる。
就労支援でもITの業界が目立っているなかで
なぜあえて社会福祉にしたんだろう❔と思うが
これは私の体験した貧困と
お金がなかった時期があった事が関連付けてある
ならば「普通」とはなんなんだろう
いままさに「普通」ではないんだろうか
あたしはレスパイト入院した時に色々悲惨な光景をみたけどあれが必然的なものであるなら
世の中の精神的な病気に対する処置は
愚策だと想う。何かしら保健適用されて
病名をつけられる。それに対し自身を無くす
世の中だ。プライドは折れるし若いうちに努力すればよかったと思うこともあるが
病気と共存しながら生きてきた自分を褒めて労わろうと思う。
時代が追いついたのかいまは鬱が400万人の時代だ。
そう思う気持ちと一緒に共存していきたいと
思ったんだ。なぜなら「生きてる」から
しかもさ
命はいつ終わるかわからないから
迷惑かけるのが普通なんだよ
だから迷惑家族にくらいかけていいとおもうんだ
愚直にやれば救われることもあるからさ
そんなことを最近考えてる。
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