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サンダカン八番娼館 望郷        四十五年後に再び観る


#映画にまつわる思い出

 十七歳の感想
 からゆきさんとして売られたサキが、現地人との初商売で、貫かれた瞬間、影のない硝子のような眼から噴き出した涙で胸をえぐられた。性を大人へのステップと考えていた大人のつもりの自分の甘さを突かれた。その後のサキの割り切った商売は、理解できると感じた。
彼女の初恋は、結婚の約束までしながら、男は不実ではなかったが、実らなかった。しかし観ていたわたしは醒めていた。娼館の経営者が死亡し、君臨していたおキクさんがサキたちを引き取るが、二人だけは無理とくじをひかせる。くじにはずれた二人はより苦界へと。おキクさんは毅然としていた。わたしはおキクさんのような女になりたいと思った。晩年の田中絹代最後の作品であるのに、若い高橋洋子の記憶が強い。十七歳のわたしは、自分はこのくらいの人生ならできると思った。
 六十三歳の感想
高橋洋子はもはや眼中になかった。女性史研究者の栗原小巻と故郷に戻ったサキを演じる田中絹代の、次第に心を通わせていく過程。廃屋に猫たちと暮らすサキの、なんという肌の色艶、露のこぼれるような双眸。過去を語るサキには、時代や両親や母親を恥じてわずかな送金ですます息子への愚痴も恨みも一切ない。朝、太陽に向かって生きていることのみをよろずの神に感謝するサキ。サキの性格や人間性の問題を超えた、原初の太陽の女性。平塚雷鳥の唱えた太陽ではない。
 栗原小巻が別れるとき、新しい畳をお礼にする。畳の上ではしゃぐサキ。
わたしは最晩年、このような性根の女性になりたいと思った。
 昨今はジェンダー論、国際的に日本の女性の地位の低さ、あげく、ホストに入れ込み、立ちんぼをする若い女性。どこにも居場所のない十五、六の少女も昼間から立つ。
 倫理観や教育、親の問題はここでは除外。親や兄弟のために売られたサキ。決して恨み事を言わないサキ。募る望郷で戻った日本で受けた仕打ち。しかし、彼女は太陽と神々に生きていることを感謝する。
 この企画により、再鑑賞でたことを感謝したい。
 人間も動植物も、カビを飲み込みながら、生きるのみ。 
生命は尊くも美しくもないと、わたしは今も思っている。
  しかし、日々を生きよう。生活、絶望、希望。
 熊井啓監督、企画していただいたWOWOWの方に感謝。
                      紫己より
  


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