仕方ないと思おうと努力する

知り合いのおばあさんが亡くなった。年齢的なもので、大往生だし、これ以上他の理由で悲しむこともご本人も望まれないと思う。

性格上、人の生き死にについてよく理解されておられる方だったし、いずれ誰にも今生きている人に訪れるものと認識されていたことも、お付き合いから死についての認識についてどのようなものだったのかは想像がつく。

それでも、やっぱり、寂しいものである。

コロナより前にも違うおばあさんを寿命で亡くしてしまったが、その時葬儀会場に向かうタクシーの中で運転手さんにこう励まされた。
「孫の祭りと言って、そこまで大往生されたなら、必要以上に悲しむことないよ。とても生きられての結果なら」と、言われたことがある。

私の人生はわりと死別の多い人生で、家族にしろ親戚にしろ、病死、老衰で亡くなった。死についての感覚というものがどこかで麻痺しているのも否めないが、その死別してしまった家族及び親戚は、みんな致し方ない亡くなり方、病気、老衰と遺される側も納得ができるようにしてくれたとは思う。

色々考え方があるし、死後の世界を私は信じるタイプではあるが、第六感にぶすぎて、あぁもう身体で出会うことはこの人生ないのかと寂しい。

よくおばあさんとはスーパーで出会って、ご挨拶させてもらって、お茶目で快活なおばあさんだった。ご主人様で10年前に亡くなられたおじいさんにも良くしていただいた。2人揃って私は大好きだったし、これからも大好きなご夫妻なんだけど。

私が寿命全うするのは当然だが何歳だか知らないけど、自分が仕方ない理由(病気とか老衰とか仕方ない認定される亡くなり方)で死んだとき、また会えると信じて、これから頑張らなきゃと思う。

寂しいな。

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