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諸葛孔明人喰いの瞬間

今回は諸葛孔明に関する面白い話を記事にしてみました。上の画像とは関係なくあくまでイメージとして貼りました。
ですがこの話はグロいシーンとかはないのでご了承してください。
それではどうぞ(^ω^)_凵

時は皆が知る三國志の時代。
諸葛孔明がとある任務がおわり劉備の国『蜀』へ帰る途中孔明達は川を渡ろうとしたが濁流で渡ることが出来なかった。

川(イメージ図)

孔明は時間が経てば渡れると思い少しばかり待つことに、すると部下の1人が「この川を渡る時は生贄が必要だ」と言い始めた。
だけど孔明は『蜀の兵を誰1人犠牲にしたくない、それに川は自然に収まる』と説明しても聞く耳を持たない。
そこで孔明はある提案を思い付いた。
孔明は部下たちにしばらく待って欲しいと伝え孔明は草むらの中へと消えた。
それからしばらくして孔明は生首を手に部下達の前に現れた。部下達はやっとわかってもらったと思った次の瞬間、孔明はその首にカブリついた!!

孔明(イメージ図)

それを見た部下達は驚きを隠しきれなかった。

部下達の驚いた顔(イメージ図)

「孔明殿如何した(*ºωº)σツンツン」、「何故このようなことを⁉️」、「えええええ((((;゚Д゚))))!?」、「ぎゃあああ┗(;゚Д゚)┓三」とその場にいた者たちはそう思っていたと思う。すると孔明は皆の前で種明かしをした。
孔明「これは人の頭をもした食べ物で中身は羊や豚のひき肉、表面は小麦粉に水を混ぜて練って包み、顔のパーツと髪は山菜で作った。」っと孔明はこれを儀式のお供え物として捧げようと提案したが部下の一人は食べたそうにしていたため孔明は儀式が終わった後に皆で食べようと提案した。

部下達は全員納得し儀式が終わった後にその食べ物を食べた、孔明はこの食べ物の名前を『まんとう』と名付けた。

その後『まんとう』は中国中に広まり、日本に辿り着きひき肉の代わりにあんこを使って別の名前として大人気となった。そう現在日本でおなじみの『まんじゅう』として愛されている。

饅頭(まんじゅう)

これが諸葛孔明の人喰いの噂の始まりであり多くの人に愛されている饅頭の話である。
ちなみに肉まんは肉入り饅頭の略であんまんはあんこ入りまんじゅうの略。
以上、諸葛孔明の人喰いの瞬間の話でした。
タイトルを見て驚いた方もこの記事を読んで納得しましたでしょうか。

手短な食べ物が意外な人物と関わりがあって面白かったので記事にしました。
それではまた(o・・o)/~


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