経験談その2


https://chng.it/yYdVXSSZ

私は直近ではない過去の記憶を思い出そうと努めている。
思い出せなければ、経験談と銘打った記事も書けはしない。幸い、断片的であるが日記に相当するものも手元にあり、私より上の世代の経験談の動画も、十三年前のことを思い出す手掛かりにできる。(下記にリンクあり)
しかし、何故パッと思い出せないのであろうか。
恐らくではあるが。無意識的に思い出したく無いのだろう・・・・・

https://youtu.be/3sxMsW5r2LI

特に中一時の組織的なシゴキの雰囲気というのは、私の十一年の中で、否、大坊を経た他の人間でも一番に強烈なものではなかったろうか。
お客様期間以後のこの一年は、何をするにも神経質になったものである。指導には手足が出ることはしばしばあった。
又、個人のミスで個人が怒られるだけでは無い。時に「集合」がかけられ、同期全員が連帯責任として集められることもあったからである。大義名分としては「弛んでいる」「舐めている」で事足りた。
今思い出したことであるが、一度は爪先立ちの正座での集合の時もあった。指導の内容は無意味な総括を求めるものであり、前後のバランスを維持し続けながら数十分の指導を聞いていた。その時は脚がキツかった記憶があるが、勿論そういう姿勢にさせられる理由は皆無である。

昔は、こうしたシゴキの内情がもっと酷かった。そう聞いている。
世代で異論があるだろうが、シゴキらしきシゴキは私の代で終わったと思われる。それ以後は「集合」に規制がかけられたりもした。
しかし宗教法人の自浄作用自体には、限度があるものである。シゴキのことは体育会系の文化で、上級生が下級生を捌け口にするのと同じ原理。組織構造として上級から下級への抑圧を、避けられはしないからである。
この風は戦前の日本軍から影響を多分に受けた、と内部では聞いたことがある。なるほど確かに「軍隊的」というよりも「日本軍的」であった。理不尽は理不尽で完結し、人脈によっては優遇されるケースもあった。

こうしたシステムが維持されるのは、何故であろうか?それは未成年時から労働力の囲い込みする方が、宗教法人の都合として楽だからである。
一般得度という枠がある以上は、宗教法人の都合とは伝統ではなく経営であることは明白である。実際に少年得度者と比べ、一般得度者は少ない。
一般得度者が少ないのは、当然であろう。何せ雇用契約を結ぶわけでも無い。常識的に言えば、ブラック且つ未成年労働の環境に該当するものなのだから・・・

今日の所はここまでに。

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