神さんとの日常 「パワースポット」
仕事柄なんだと思いますが、僕は神社によく行く人だと思います。僕がお仕事を始める前くらいからパワースポット信仰のようなものが始まりました。お参りに行かれるのはいいのですが、そうでない方が神社に増えるのはあまりよろしくないような状況に感じます。今回はなぜよろしくない状況なのかをお話をさせていただきます。
このことは以前にも少し触れたのですが、神さんに感謝や信仰心もなくただただ「穢れ」だけを神社に置いていく人が増えました。これは神社がパワースポットだといわれるようになってからは顕著で、神さんの力を理解していないスピリチュアルな人が神さんの力を「感じたフリ」をしているのを見て、自分も感じることができていないと周りの人に劣っていると見られたくない人が「感じているフリ」をしている風景をよく見るようになりました。
的外れも甚だしいバカらしい行為です。
そもそも「力をもらおう」というだけの「欲の塊」の人に、自然界の微妙な気の流れを感じれるわけがないですし、神社をパワースポットだと言ってお金を稼いでいる人にはなおさら感じれるはずがないのです。
今の神社はこんな感じという例え話です。
「この家の人は何もしなくても幸せにしてくれますよ」と言う人が駅前でたくさんの人にビラを撒いていたせいで、あなたの家の前は人だかりになりました。本意ではないとしてもあなたは善意で集まった人にできる限りのことをしてあげます。
しかし、勝手に集まった人の中で自分のしてほしいことをしてもらえなかった人に「幸せになれなかった」と文句を言われることが出てきました。自分の幸せを人任せにしている人に言われた言葉にきっとあなたは傷つきます。
「なんでそんなことを言われないといけないんだ」
しかも調べてみたら、駅前でビラを配っていた人物は紹介料をとって自分だけいい生活をしていたことがわかりました。自分だけ傷もつかず楽にお金儲けをしてのうのうと暮らしている姿を見てさらにあなたは傷つくのです。
あなたの家の前にはたくさんの穢れ(ゴミ)が残されるので、それまであなたは掃除をしないといけないことに疲れて果てています。
これがパワースポット信仰がよろしくないという理由です。神社は「感謝」と「お願い」をしに行く場所で「もらいに行く場所」ではありません。先に書いたように神さんの力を感じることができるのならば、神社に行かなくても力をもらえることがすでにわかっているはずなので、わざわざ神社をパワースポットだと指定すること自体おかしいのです。神さんが神社にしかいないと思っている時点で、神さんのことが見えていない人だと思ってください。
何かに頼りすがることで現状を良くしたい気持ちはよくわかります。しかし、現状が良くならないのは「感謝」を忘れてしまっていることと、自分でどうにかしようという気持ちがなく「他力本願」なのが原因なのです。
神様目線でも書きましたが、神さんは「やった分」しかくれません。うまくいかないのは、やりたいことに対してやっていることが「足りていない」だけなんです。
神さんは常に平等です。
必要以上にひっつこうとすると離れられます。
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