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してはいけない「いいとこどり」

最近というかずっと思っていることがあります。

「そんなつもりではなかった」
「聞いていなかった」
「信じて任せていた」

などを「都合のいい言葉」として使っておられる方が多いのですが、大人としてどうかと思ってしまいます。責任感のかけらもない言葉です。

人には「想像する」という能力があります。

人は色々な出来事に対して「いい想像」もできれば「悪い想像」もできます。この二つは自己防衛をするために本能から起こるものなのですが、これに加えて「都合のいい想像」というものがあります。それは主に「下心」から生まれる自分だけに都合のいい無責任から産まれる想像です。

都合のいい想像には「努力や我慢、面倒」というものが排除されていて、うまく「いいとこどり」をできることだけが想定されています。言い方は悪いですが、最近世間を騒がせている出来事の多くで加害者にも被害者にもこの「いいとこどり」が透けて見えることが多いように思います。

だから自分は被害者だという人にも何かしらを思う人が多いのではないかと思います。

これまで「いいとこどり」は力のある人の特権だったように思います。しかし、時代は変わりいろいろな立場の人が「いいとこどり」を使えるようになりました。良いことなのかもしれないですが秩序は確実に乱れています。それが残念でなりません。

大人は知恵を使って生きないといけません。

大人である以上、老若男女問わず「自分の責任」で生きないといけないのです。それを放棄した状態で被害者になろうとしている人に対して、神さんは手を貸されることはありません。どれだけ時代は変わろうとこの形は絶対に変わりません。

どれだけ頭のいい人や権力者や有名人が自己責任をおざなりにしようとも、大きな流れの中で自己責任の重さが変わることはありません。自己責任の所在をうやむやにすることで不安や不満を増幅させお金を稼いでいる人たちの口車に乗らず、自分のことは自分で考え行動をすることが「大人」なのではないかと思います。

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