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都合のいい常識

「ベートーベンが本当にすごいのか考えたことがあるか?」

このことを先日神さんに聞かれました。僕の答えは「イエス」でしたが続けて神さんは

「本当はすごくないものを誰かがすごいと言ったことですごいと思い込んでいないか?」

と言われました。常識だと言われていることが本当にそうなのかと自分で一度考えているかという問いかけでした。

よくよく考えてみると常識は時を経るごとに変化し続けている「水物」で、本当に正しいというものではない可能性があるので常識を鵜吞みにしてしまうのはとても危険な物だったりします。特にネット時代の昨今は簡単に「都合のいい常識」が造り出され、悪い意味で人の心が煽動され簡単に動かされていることが多いように感じています。

都合のいい常識は人の心の弱い部分を揺り動かすことで自身の商売につなげたい人が作るものがほとんどなので、都合のいい常識が人のためになることはほとんどないのですが、それでも多くの人は自分にとって「都合がいい」ので本当はよく考えればマイナスが多いことでも「一時の楽」のために何も考えずに受け入れているように思います。

そういう感じで受け入れられている都合のいい常識の一つが「SDG’S」ではないかと僕は感じています。本当に自然環境のことを考えるのならば全員で電力消費の無駄遣いを真剣に考えて減らせばいいのに、便利で楽な生活を手放したくないので「減らす」ということに対して「省エネ」という手前味噌でごまかし、さらには環境を壊してまで自然エネルギーを確保していることを容認してしまっているのです。これを読んでわかる人はわかると思いますが日本のSDG’Sでは誰も我慢をしていないのです。

「我慢を強いれば売り上げや支持率や株価が下がり儲からなくなる」

日本が世界から立ち遅れているのは「ちゃんと考えてほしくない人たち」の都合のいい常識に乗せられて、「先憂後楽」の思想をいつの間にか「先楽後憂」に変えられてしまっているからなのです。現代の家電は現状に足りない部分に事足りるように作られているので便利でよく考えられていますが、

「楽を売り、出てきた憂いに対してさらに楽を売っている」

という考えはできないでしょうか?
いつの間にか作り出された「便利のループ」に乗せられてしまって、「新しいものが良い」ということが常識になり「工夫をして生活をする」ことを忘れていないでしょうか?

日本人は「正しい」ということに敏感ですが、それが「本当に正しいのか」と考えることに関しては鈍感だと思います。「みんながそう言っているから」「偉い人が書いているから」だけで簡単に信じすぎた結果が、戦争やバブル崩壊なのにまだその癖は抜けていないように感じます。

常識は時としていとも簡単に表情を変えます。だからこそ「本当に自分にとってそうなのか」ということをしっかり考え、「自分にとってはここまであれば大丈夫」という線引きを自分でできるようになることが大事ではないかと思う今日この頃です。

ただ、ここまで書いてなんなのですが・・・。

現状の生活が環境に悪いということですら、誰かが儲けるために作り上げた常識かもしれないのでしっかり考えないといけないことだと僕は思っています。一つの物事を双方向から考えると必ず「打ち消される」ものになってしまいます。その打ち消しあった先に残ったものが「良識」というもので、その部分を常に考えて見つけることが人には必要なのではないかと思っています。要は

「偏らないことが大事」

ということなんだと思います(笑)。


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