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神さんとのお仕事㊵「個性について」

「個性は人の間で揉まれて削られた結果にできるものなので、きちんとした個性はまわりから浮くことも疎まれることも憎まれることもない。あなたの個性が認めてもらえないのは、誰にも気づかっていない単なるわがままだからだ」

最近はやたらと「個性」や「自由」を謳ってわがままをする人が多くなったように思います。神さんにとって義務を果たしていない個性や自由は「単なるわがまま」なので、そういう個性や自由を認める必要はないと言われます。

わがままを認め過ぎた日本では、まじめに生きている人にわがままな人が放棄した責任のすべてが回ってきてしまい疲弊してしまっています。これは本当に由々しき問題だと思っています。

「わがままな人には嫌われた方がいい。どうせいつかは嫌われるから」

神さんはいつもこうアドバイスされます。個性だ自由だと言って自分のことしか考えない人には適当に接して離れるようにしてください。そういう人から離れることを神さんは怒られることはありません。

自分の行動で誰かに迷惑がかかるのではないかと考えることができて、はじめて個性として認められるものが出来上がります。なので、個性が本当に出来上がるのは大人になってからなのではないかと僕は思っています。自分の欲を制し、自分の心を律し、自戒を繰り返すことで個性は作られていくので、子供の間のわがままは個性ではなく「単なるわがまま」として諫めてあげたほうがいいと思います。

子供さんだけでなく、今は子供の頃にわがままを諫めてもらえなかった大人が年齢問わず多すぎるように思います。大人は怒られることが少なくなるので、自戒をしない限りわがままを抑えることができません。まずは大人がきちんと見せてやらないと、大人を見ている子供がまともに育つわけがありません。

「水は上から下にしか流れない」

神さんはいつもこう言われます。上の年代が下の年代を、大人が子供を、上司が部下を育てるのです。上流の水質が悪ければ、必然として下流の水質も悪くなります。各々の個性と言って人の心を育てる循環から逃げてはいけないのです。若い代がダメだと思うならば、反省すべきは上の代だと思ってください。

生まれ持った性格のままで生きるのは「我が儘」。自分のままでほかの人がどこにも入っていません。まわりの人を想いながら自分の行動を律してはじめて「個性」が出てくると思ってください。

本当の個性は誰も疲弊させません。

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