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何年経っても変わらぬ政治家の顔ぶれ…停滞ジャパンの突破口に「くじ引き民主主義」!?


アイスランドではくじ引き選出の市民が「新憲法案」討議

最近、地元の松戸市で今年10月から開催されている「気候市民会議」(正式名称は松戸市環境未来会議)を傍聴しているのですが、そもそもこの会議っていったい何なの、と思われている方もいるではないかと思います。かくいう私もそんなに詳しいわけじゃあありません。

そこで今回は自分もお勉強、ということで、気候市民会議で見られるような「くじ引き」を使った市民参加型の政治について解説された同志社大学政策学部の吉田徹教授の著書『くじ引き資本主義』(光文社新書)を読んでみました。

一番インパクトがあったのは、北欧の島国アイスランドの事例でした。

この国ではなんと、くじ引きによる無作為抽出で選ばれた市民が新憲法の素案をつくる、ということをやってのけていたんですね。

具体的には、下記のようなプロセスだったそうです。
・2009年、1200人の無作為抽出(くじ引き)分を含む1500人の市民による民間主宰の憲法会議が新憲法の指針について討議
・この指針について2010年、無作為抽出された市民950人が政府の会議で討議
・2011年、一般市民に限定された立候補者522人から25人が選挙で選ばれ、新憲法制定会議の構成員となる。
・憲法制定会議はこれまでの市民会議の案をもとに毎週、討議を行い内容をwebに公開。政治家からの勧告を受けたり、市民からの意見を募るなどした後、新憲法案を発表。
・2012年、国民投票でこの会議の素案を新憲法のベースとなることが決まる。

残念ながらその後に政権交代があって、新憲法の制定自体がお蔵入りになってしまったそうなんですが、憲法という国の根幹のところを「くじ引き」で選ばれた市民が決める、というプロセスを実現していたんですね。さすが、議会制民主主義の元祖を自認する国だけのことはあります。「くじ引き民主主義」は、こんなことまで出来てしまう可能性を秘めているわけです。

アイスランドの件は突出した例かもしれませんが、フランスやイギリスでは国の気候変動対策について「くじ引き」で選ばれた市民が話し合って政府や議会に提言を出すなど、すでに国政レベルで「くじ引き民主主義」が実践されているそうです。


吉田徹著『くじ引き民主主義 政治にイノベーションを起こす』(光文社新書、2021年) 

なぜ「くじ引き民主主義」なのか

それにしても、すでに選挙によって議員や首長を選ぶという従来の手法があるのに、どうして「くじ引き」が必要になってくるんでしょうか

この本によれば、それは「代表制民主主義の限界」が見えてきているからだといいます。

日本のことを思い浮かべるのがてっとり早いですが、まず、政治家たちは衆院解散のタイミングづくりや次の選挙対策に汲々としてしまい、長期的にこの国の仕組みをどうやって変えていくか、という視点がいまいち見えてこない

政党も、お互いの勢力を伸ばすために争うばかりで、相手が正論を言っても説得されて合意に至ることはほとんどない。だから国会での議論は噛み合わず、空疎なアピール合戦のようになってしまう。

さらに、与党を中心に国会議員は世襲ばかりで、いわば「血筋により選ばれたエリート」のグループになってしまっている。おまけに彼らは「男性」で「年配」の人たちばかり。これでは、庶民も含めた国民の代表と言えない。

こうした弊害によって「硬直」してしまった政治に、くじ引きで選ばれた市民による会議を加えることで、これまでにない新たな発想を吹き込むことができるし、市民たちは自分たちが政治に参加しているという意識を持つことができるようになる、というのが「くじ引き民主主義」のメリットだというんですね。

特にこの「自分たちが参加している意識」という点が意外と重要で、たとえ従来通りの議会で決めたのと同じ結論になったとしても、「権力者たちが密室で決めた」政策よりも、「自分たちで話し合って決めた」政策のほうが納得感があり、みんな政策の実現に積極的に協力するようになる、というわけです。

ただ、「くじ引き民主主義で」みんなが「参加している」という実感を得るためには、単発の企画で終わらず、ことあるごとに「くじ引き」による会議が招集されたほうが良いでしょう。そうすると市民が実際に「くじ引き」で選ばれる可能性が増えることになります。

宝くじみたいな確率じゃあ、実感が湧かないですよね。

「くじ引き民主主義」のデメリットをどう考えるか

ところで、せっかく選挙で優秀な人たちを選んでいるのに、そんなシロウトたちに政治を任せて大丈夫なのか、という疑問もあろうかと思います。

この点は確かにデメリットだと思います。たとえば、選挙による議会を完全に廃して「くじ引き」で選んだ議員による議会だけで国を運営しようとしたら、さすがに不安ですよね。

しかしこの本によれば、欧米でここまで導入されてきた「くじ引き民主主義」というのは基本的に、これまでの議会や政府といった仕組みを「補助」するものとして存在します。

つまり、「くじ引き」で選ばれた市民たちは「憲法改正」や「気候変動問題への対策」といったテーマについて討議したうえでアイディアを「案」としてまとめて政府や議会に報告しますが、具体的に形にするかどうかを「決定」するのはあくまで、選挙で選ばれた議員たちになるわけです。

これならまあ、そんなに怖くないかもしれません。

ちなみに、多くの市民による討議を経ると、出てくるアイディアというのは往々にして常識的なものに収れんするそうです。

「熟議民主主義」は理想論か

この本では、「くじ引き民主主義」を「熟議民主主義」と位置づけています。というのも、一口に民主主義といっても様々なかたちがあるわけですね。

選挙で選ばれた代表者が決定を下していくのは「競争的民主主義」、街頭でのデモや署名活動などは「参加民主主義」といった具合です。

「競争的民主主義」や「参加型民主主義」の場合、プレーヤーたちの意見は最初からどっちかに決まっています。たとえば「改憲反対!」と言ってデモしていたら、議論を経てもそう簡単に「やっぱり改憲賛成!」とはならないでしょう。

これに対して、「熟議型民主主義」というのは、市民同士が議論を経て、考えを変えていく可能性がある、という考え方が前提にあるそうです。

この点、どうでしょう。例えば日本で「憲法改正」のように国論を二分するテーマで市民会議を招集することを考えると、かなり意見が割れそうで、最悪、結論が出なくなりそうな気もします。たとえば「気候変動対策」のように、国民の間で前提がある程度共有されている(それも日本の場合怪しいですが)テーマで、具体的な実行策を考える、という局面のほうが「くじ引き民主主義」に適しているのかもしれません。

やや理想論的かもしれませんが、少なくとも「くじ引き」で選ばれた市民たちに「利権」や「権力闘争」などの打算が生じる余地がそれほどないことを考えると、プロの政治家たちよりは議論の中身に集中できる環境と言えそうな気がします。

「プラスアルファの存在」として日本も試してみては

ここまでの話、どうでしたでしょうか。自分はこの本を読む前よりも読んだあとの方が、「くじ引き民主主義」に肯定的になりました。

というのも、たしかにここ十年ほどの日本の政治は政権交代のダイナミズムもなく、ワンパターンで行き詰まっている気がするからです。政策にしても、政権側の意向で選ばれた「有識者」がどこか遠いところで議論して決めてしまっている…なんて感じてしまうところも多々あります。

現状の制度をいきなりひっくり返さなくても、「プラスアルファ」の存在としてくじ引きによる市民会議を課題ごとに招集して、その会議も丸々公開して国民からの意見も募って、ということをやってみてもいいんじゃないでしょうか。それほど予算を費やさなくてもできる試みですし、国民の政治への関心が高まるだけでも十分にメリットがあると感じます。

いま、地元・松戸市で行われている「気候市民会議」も、そんな大きな可能性を秘めたシステムを政治に取り入れる一つの「実験」と考えると、より注目に値するものになると感じました。

〈今回取り上げた本〉
吉田徹著『くじ引き民主主義 政治にイノベーションを起こす』(光文社新書、2021年) 

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