アリクイどもを黙らせろ 第一話
「てめえ! 金がないだと。ふざけんな」
はきだめみたいな繁華街の路地裏で、下卑た声が轟いた。黒ずんだビルの壁に音が反響し、ワンと耳鳴りがした。でかい声を出す人間にろくな奴はいない。声量とは人柄だ。
俺は、声の主を見た。
金髪の坊主頭で、鋭い目をしている。ブランド物のスーツを身にまとっているが、まるで似合っていない。俺がデザイナーだったら、二度と着るなとひっぱたくだろう。
坊主頭の前では、女がさめざめと泣いていた。薄い赤いドレスで、胸の谷間を強調している。
「ごめんなさい。今月はないの」
「ふざけんな。ホストか。またホストにいれあげてんのか。このビッチが」
ビッチってマジで口にする奴いるのか……まあそんなことはどうでもいい。
「お取り込み中悪いけど、ちょっといいかな」
声をかけると、坊主頭が目を吊り上げた。
「なんだ、てめえ」
「ちょっとそこの彼女に用があるんだ」
「安っぽいヒーロー気取りかよ」
坊主頭が俺の胸を押そうとしたので、ひらりとかわす。坊主頭はその勢いで前につんのめった。
坊主頭からすると、俺がすり抜けたような感覚だったろう。歩行術を極めると、素人にはそう見える。
すべるように足を進めながら、ナイフを手にする。安いラブホテルのネオンの光が、その刃に反射した。
モルジナイフだ。
俺達の世界では最高級のブランドだ。中世ヨーロッパで死刑執行人の剣を作成していた子孫が、手作りで作成している。
正直道具なんて何でもいいが、このナイフの使いやすさは別格だ。
スムーズに女の前までたどり着くと、女の腹部にナイフの刃を向けた。
極限までに研がれたモルジナイフを、肋骨と肋骨の間を正確に刺す。女が百メートルを九秒で走ろうが、目隠しをされようが、狙いを外すことはない。
豆腐を切るように、何の抵抗もなく、ナイフは肝臓に達した。皮膚、筋肉、臓器ーーそれぞれに感触が違う。
スッとナイフを引き抜いて、その刃を見る。刃には血が一滴もついていない。俺の腕とモルジナイフの切れ味が合わされば、血なんて付かない。
さっきまで悲嘆に暮れていた女が、まぬけ面に変貌する。自分の身に何があったのか気づいていない。
「えっ……」
唇の隙間から声が漏れると、女は膝を崩し、バタンと倒れた。
振り返ると、坊主頭がぽかんとしている。さっきの威勢は嘘のように消えていた。
俺がナイフをしまうと、坊主頭は唇と唇の隙間から声をしぼり出した。
「……何をした」
「殺した」
端的に答えると、坊主頭が青ざめた。
「殺しただと……」
「そう」
「こいつに恨みでもあるのか?」
「恨み? 俺、この女の名前も知らないし」
「……じゃあなぜだ、なぜ殺した?」
「仕事だから」
そう、俺の仕事は殺し屋だ。
この女を殺せという注文がきたので、サクッとナイフで刺した。失敗する確率を減らすための下準備や調査も一切しない。面倒だし、俺が失敗することはない。だから女が何者かも知らない。
「はいはい。掃除にきたよ」
しわがれた声が割って入る。いつの間にか、ババアが隣にいる。白い三角巾をかぶり、水色の作業着を着ている。
その背後には同じ格好をした男どもがズラッと並んでいる。どれもこれも無表情で、生気というものがない。
ババアがしゃがみ込み、女の死体を確認する。
「あいかわらず見事な腕だね。ナイフで刺して血がたったこれだけ。掃除屋にとっちゃ最高の殺し屋だね。あんたがジソウ家の歴史の中で歴代最強といわれるはずだ」
「あっそ」
褒められても一ミリも嬉しくはない。
俺の名前は、ジソウ・メクル。
我がジソウ家は、千年前から殺人稼業を行う由緒正しき殺し屋一族だ。殺し屋に由緒なんてものがあるとは到底思えないけど、親父とおふくろはそう言い張っている。
だから俺は物心ついたときから、殺しの英才教育を受けてきた。
初めて人を殺したのは三歳の頃だ。誕生日プレゼントで買ってもらった黒光するグロックで、親父が連れてきたヤクザの額を撃ち抜いた。
それを見て、親父とおふくろは歓喜の声を上げた。
うちの一族きっての天才があらわれた、と。
その期待通りに俺は成長し、十七歳の今ではババアの言うとおり、ジソウ家最強と呼ばれている。つまり、世界一の殺し屋だ。
掃除屋の社員達が大型のダストカーに、女の死体を入れて運んでいく。この後死体は処理場でミキサーにかけられ、ミンチにされる。
すぐに提携の養豚場に運ばれ、豚のエサになる。その人肉を喰った豚は高級ブランド豚として肉屋の店頭に出される。人肉ミンチは最高に滋養があり、豚の大好物でもある。
そのバカ高い値段の豚を、金持ちどもがバカみたいにむさぼる。無駄が一切ない、合理的なシステムだ。
ババアは、死体処理専門の会社を経営している。不気味な男どもはそこの社員だ。
殺人犯が警察に捕まるのは、死体を残すからだ。死体さえなければ、行方不明として処理されて終わる。
だから殺し屋にとって掃除人は必要だ。漫才コンビのように。我が家とこのババアは、さながら相方だ。
ババアが坊主頭を指さした。
「一人忘れてるよ」
俺は、坊主頭の肩をチョンと押した。坊主頭はなんら抵抗することなく倒れ込むと、背後に控えていたダストカーにダイブした。
ババアと話している間に、坊主頭はもう殺している。ナイフで肝臓を刺していた。目撃者を逃すわけがない。
ババアが感嘆の声を漏らした。
「間違いない。あんたがこの世界、いや歴史上一位の殺し屋だ」
だから嬉しくないんだって……。
仕事を終えてとぼとぼと歩く。
もう夜が明けて、朝になっている。社会が動き出す時間が、俺にとっては仕事終わりの時間だ。人殺しは夜に行うと相場決まっている。
向かいから女子高生二人組が歩いてきた。制服姿の女子を見るだけで、動悸が激しくなる。人を殺すときは緊張なんてしたことないのに。女でも標的だったら冷徹に殺せるのに……。
俺はうつむいて、彼女達をやり過ごす。すれ違い様、心臓が跳ね上がって胸の内側を叩き、強烈な衝撃が走った。
後ろの方で、彼女達のひそひそ声が聞こえてくる。
「何あの人、気持ち悪くない」
くっ……聴覚がいいので、聞きたくない声まで聞こえてしまう。
俺だって普通の高校生だったら、女子高生相手でも緊張しないのに。こんな黒ずくめの服ではなくて、制服を着ていたら気持ち悪いなんて言われないのに。
ダメだ。やっぱり一般人のように高校に行って、青春を謳歌したい。
そしてーー彼女が欲しい!
すっごい可愛くて、素直で、俺のことが大好きな女の子だ。
学校終わりに公園でデートして、休日は映画を見に行くのもいい。歌は下手だけどカラオケもいこう。だって彼女ならば笑顔で俺の歌を聴いてくれる。
学校を卒業したら即結婚だ。
海の見える一軒家を買う。家なんて一万軒買ってもお釣りが出るほど俺は稼いでいるんだ。
朝になるとテラスに出て、彼女、いや妻と一緒にコーヒーを呑もう。海を眺める彼女の横顔を見つめて吞むコーヒーは、世界一旨いに決まっている。
それだけ、それだけが俺の唯一の望みだ。普通の高校生は、俺みたいに人殺しなんてしない。殺し屋なんてもう嫌だ。
けれど殺し屋をやめるなんていったら、大騒動になるだろう。親父とおふくろが半狂乱になるのが容易に想像できる。できるならそれは避けたい。こう見えても俺は孝行息子なんだ。
家に到着する。
大きすぎもせず小さすぎもせず、新しすぎもせず古すぎもせず、いたって平凡な一軒家だ。目立つことは可能な限り避ける。それが我が一族の家訓だ。
その代わり、広大な地下室が備わっている。最先端の武器や兵器がズラッと並び、プロのアスリート選手が驚嘆するような、科学の粋を結集させたトレーニング施設も完備されている。
門を開けると、玄関の前にトナカが座り込んでいた。
トナカは俺の弟だ。
トナカはしゃがみ込み、指で何かを摘まんでいた。
アリだ。
トナカの親指と人さし指に挟まれ、アリがもがいている。俺は耳だけではなく目もいいので、節の一本一本までがはっきり見える。
トナカはアリを口の中に放り込むと、ゆっくりと咀嚼した。実に旨そうに、甘露でも吞むかのように、味わっている。
「……そんなもの食ったら腹壊すぞ」
丁寧に注意すると、コナカがこちらを向いた。
なんて端正な顔立ちだろうか。何度も見ている顔なのだが、ハッとするほどの美形だ。もしこいつが普通に高校に通っていたら、女子達がどんな騒ぎを起こすかわかったものではない。
コナカが立ち上がった。
「これで準備が整った」
「準備?」
あいかわらずわけのわからない奴だ。
「兄ちゃん、夢はあるか?」
「彼女が欲しい」
即答中の即答。
「くだらないな」
「ほっとけよ」
「俺の夢は……」
コナカが一度言葉を切ると、こう続けた。
「兄ちゃんを殺すことだ」
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