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いろはにほはねと

低反発枕 #ebf6f7

 
 次の日の夜になっても、大喜利メッセージグループには何の反応もなかった。偶然テレビで見かけた問題を少しアレンジしてみたが一問目にしては難しかっただろうか。
 ケンカした翌日だから仕返しなら嫌いなもの、仲直りするつもりなら好物を入れればいいと思いつくはずだ。自分たちも経験したことがあるだろう。
 とりあえず料理名を答えるだけでも最初は合格にするつもりだったのに、燎の目論見はいきなり外れてしまった。
 反応がない理由…、凌の場合は難しく考えすぎている可能性がある。それに満月と競わされているプレッシャーもあるはずだ。
 馨との会話を聞く限り、天敵にも似た関係なのかも知れない。初っ端から下手なことはできない。そんなふうに慎重になる気持ちは理解できる。
 わからないのは満月のほうだ。センス抜群と馨が太鼓判を押したわりには大人しすぎる。積極的に凌を引っ張っていってくれると期待していたのに。でもよく考えてみれば、女子高生が見も知らぬ大人にいきなり大喜利をやれと言われたのだから、無理もないのかも知れない。でもそれだと馨があんなに自信満々だったことに説明がつかない気もする。
 そうか!彼女はお笑い芸人並の実力の持ち主で、すでに面白い回答ができていているが、後出しのほうが有利と考えて凌が回答するのを待っているのだ。
 凌の実力がどれほどなのか様子を見ようとしていうのもあるだろう。天敵としては凌よりはるかに面白い回答を、より効果的なタイミングで出すのを虎視眈々と狙っている…。
「ないない」
「えっ!?」隣の智絵が驚いた。最近、大喜利のお題を探すためにお笑い番組や配信動画をたくさん見るようになった。
 知らないうちに燎の関西人の血が騒ぎだしたようだ。気が付くといつの間にか脳内でボケとツッコミをしている。
「なんでもないない。ははは、あ、お帰りー!」
 今日が帰寮のピークだった。午後から続々と寮生が帰って来た。食堂前に長机で簡易の受付ブースを作って、智絵と二人で確認を取っている。
 今は夕食時に合わせて帰ってきたメンバーと、夕食を食べに自室から食堂に集まってきた寮生でごった返している。みんな元気そうだ。こんなに賑やかな寮は久しぶりで嬉しい。
 玄関から続く廊下には、各自が実家から送った荷物がずらりと並んでいる。
「帰ってきたのに、まだ名簿で確認してもらってない人はいませんか」帰寮予定者がまだ数人残っている。
「帰ってきたらまず私たちが名簿でチェックしてるからねー」
 反応がない。今いるのはすでに確認が済んでいるメンバーばかりだ。燎たちが夕食を食べるのはまだ先になりそうだ。
「晩ごはんがいるって連絡くれた人は準備できてるよー」
「はーい」
「連絡してないけど晩ごはんが欲しい人も、準備するから言ってねー」
「はーい」二回生の一人が元気よく手を挙げた。どっと沸く。そうだ、これが笑いだ。燎も笑いのおかしなスイッチが入りつつあった。
 
 燎が脳内でボケていた通り、満月は様子を見ていた。ただ理由は全然違った。
 燎からのメッセージを見つめる。返事を打とうと画面に指を伸ばす。
「あ~あ、緊張する~」スマホを抱きかかえて、ベッドに転がる。
 せっかくなら、爆笑されたい。燎に面白いと思われたい。馨にセンスがあると紹介されたことは、満月自身は知らないがそこは関西人として、当然欲しい評価だった。
 だから一発目の回答はものすごいプレッシャーだった。いくつか候補はある。しかしどれが最適なのか迷っている。
 それにまんげつと呼んでくれとお願いしたのに、さん付けだったのもショックだった。せめてちゃんにしてほしかった。燎さんは、グイグイ来るタイプは苦手なのかな。徐々に距離を縮めたほうが良さそうだ。
 それにしてもなんと答えよう。面白くない答えを先に出してくれたら何を出しても受けると思うが、あのおっとり君にはそれも期待できない。
「わーん」枕に顔をうずめ、足をバタつかせて大声を出した。
 
 午後九時を回った頃、燎たちはようやく夕食にありつけた。本日帰寮予定の最後が帰ってきたのが八時半過ぎ、宅配便で送られた荷物の受け渡しが完了したのがついさっきだった。
 さすがに腹ペコだ。今日のメニューは酢豚と麻婆豆腐そしてかきたまスープ、これはおばんざいの店が提供してくれる人気セットのひとつだ。
 献立は店にお任せとするのが安く食事を提供してもらえる条件だが、今日はみんなに喜んでもらいたくて、智絵と相談して正規の料金を支払ってオーダーした。
 かなり割高だったがテーブルのあちこちで、うま!と歓声が聞こえたので大満足だった。これをいつも低価格で出してもらっているありがたさを改めて感じることができた。
 美味しい料理で、燎のお腹と心が満たされていく。今日でほとんどが帰寮した。残りはバラバラと帰って来る。それも慣れている三、四回生や院生ばかりだ。
 燎たちがわざわざ出迎える必要もなく、帰寮後個別に部屋を訪ねればいい。今は無事仕事をやり遂げた安堵感で満たされている。
 
 食堂の談話スペースでは、二回生たちがキャリーケースの中身を広げてファッションショーをしていた。ワンピースを着ていた一人が気づいて、燎たちのほうを向いた。
「ガガさん、可愛いでしょ?」スカートのすそを広げてポーズを決める。
「うん、似合ってる」
「これ全部、“ぎぶあんどていく”で交換したんですよ」テーブルに乗っていた秋物っぽい衣類やバッグを自慢げに指す。
 聞いたことがあるが思い出せない。智絵に助けを求めた。
「“ぎぶあんどていく”って何やったっけ?」
「わらしべ長者の…よね?」
「そうです、そうです。試しに私もやってみたら、すっごくお得な交換ばかりできて」一緒にいる同級生たちが羨ましそうに見ている。
「そういう才能あるんやね」
「全然そんなことないですよ。自分がいらないものでも誰かが欲しがってくれるから、どんどん取引が成立するんです」
 智絵がスマホを見せてくれた。わらしべ長者の舞台となった物々交換サイト、ぎぶあんどていくは登録者が一千万人を突破したらしい。
 二匹目のどじょうどころか、日本各地に何十人も成功者がいるとニュースは報じている。後発はダメだと思っていたが、分母が大きいと案外いけるようだ。
 物々交換と限定されているので、それ以外の目的の利用者がいないことが他のSNSと大きく違うところだと評されている。交換したい人が一千万人もいれば、取引成立が容易なのも納得できる。
「なるほど、ありがとう」智絵にスマホを返した。
 最初のわらしべ長者が話題になってから二か月も経っていない。凌のことで少し目を逸らしている間に、ものすごいスピードで世の中が動いている。燎は薄気味悪ささえ感じた。
 燎が食器を洗い終わっても、二回生たちは残っていた。物々交換の極意伝授はまだ続くようだ。
「休みはあと一日しかないし、早よ寝て朝起きられるように生活リズム戻しや。最後の人、電気消すの忘れんといてよ」
「はーい。おやすみなさい」
 
 凌はお題を読んだときに、答えはすぐに浮かんでいた。決して自信があるわけではない。はっきり言って面白くないだろう。でもどんな反応をされるのか知りたかった。そこに満月がいるのも運命的なものを感じる。本当にお節介な幼なじみだ。
 できれば満月のあとに答えたいのが正直な気持ちだ。いきなりはかなり覚悟と勇気がいる。でもそれは全て自分の中でなんとかできることだ。これは滅多にない絶好の機会だと感覚的に分かる。そしてそう長く迷っていられない。
 明日は家庭教師の日だ。回答を送らずに授業を受けるのは、気まずくなるのが目に見えている。説明を求められるだろう。うまく答えられるはずがない。
 授業までに、答えを送って感想を受け取る。できれば次のお題をもらって話題を変えたい。それなら一刻も早く送るしかない。
 凌は腹を括った。
 
凌┃マネキン味のちくわと野菜の炒めもの
 
 言い訳や説明など付け加えることなく、回答のみを送った。すぐに既読が“2”になった。凌はスマホを机に置いた。
 自分がお題をもらってから丸一日かけて回答したのに、早く返事が欲しいというのは自分勝手だ。待っている間にいろいろ考えてしまうのも馬鹿馬鹿しい。もう寝ようとベッドに横になった。通知音が鳴る。凌は飛び起きた。
 
燎┃これって“シュール”って言うんよね?私もお笑い勉強中やからわかります。一問目、合格です。難しく考えんと送ってきたらいいよ。それから昨日言うの忘れたけど、明日は休みです。火水って学校で数英の授業が少ないからほとんど進まないだろうとお母さんと話して決めました。聞いてると思うけど、念のため。だから明日はどんどん大喜利の回答を下さい。次の授業は土曜日です。
燎┃満月さんも待ってます。次のお題はもう少ししてからにしますね。
燎┃ではおやすみなさい。
 
 うさぎがふとんで鼻提灯を膨らませて寝ているスタンプが押されていた。
 凌は文字の多さに驚いた。さっきの回答から三分しか経っていない。自分にはとても無理だ。
 明日は休み、母と相談して決めた…。情報量が多い。急ぐ必要はなかったのか?いや、先延ばしにすれば踏ん切りがつかなくなるだけだ。
 シュールの意味を調べてみる。やはり読解力が大切なのを実感した。続きは明日にしよう。これで満月も回答するはずだ。
 次のお題が早く出されることを期待しながら、凌は眠りに就いた。

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